Ding-Dong (1) 


 緑の芝生の上に建つ白いチャペル
 高い窓
 ステンドグラスが光を染め分ける
 鐘が鳴る
 祝福の鐘が――
 クラシカル・スタイルの裾を長くひいた純白のドレス
 しなやかな身ごなしで花嫁はヴァージンロードを進む
 父親代わりの男性に付き添われて、花婿のもとへと
 チュールのベールごしに見える象牙の肌、珊瑚の唇
 その横顔はジョーカー

「行かないでくれ!」
 自分の叫び声で六道リィンは目が覚めた。
 夢だったとわかったあとも動悸がおさまらない。
(間違いなくジョーカーだったよな。付き添っていたのはS‐Aだ)
 自分が見ていた夢をなぞる。
 花婿の顔は思い出せない。
 いや、そうではない。リィンは、花婿の顔を見なかったのだ。
 見たくないと願ってしまったせいだ。
 それでも、自分ではないということだけは確実だ。
 ヴァージンロードを進むジョーカーをみていることだけしかできなかった。
(嫌な夢……まさか、正夢なんてことはないだろうな…)
 リィンは、自分に予知能力があるとは思わない。
 夢で見たことを現実と混同するようなタイプでもない。
 たしかに夢には現実が投影している。
 精神分析にも利用されることからもわかるように、心の秘密を解く鍵でもある。
 だが、今の夢は、願望の投影ではない、と思う。
(でも……)
 ジョーカーを見も知らぬ男に渡したくはないと思う一方で
(寿退職が認められるってことは、解体処分を免れたってことでもあるんだ)
 相手が自分ではないのは悔しいが、このことでジョーカーが幸せになれるのなら――解体処分を免れることができるのなら、それを喜ぶべきかもしれない、とも思う。
 とにかく――
 今しがた見たものは夢であり、リィンの現実たる日常は、彼が思索に耽る暇など与えてはくれない。
『出勤15分前!出勤15分前!』
 遅刻防止のためにセットしたアラームが、合成の音声でリィンを急き立てる。
「いけない!今日は、トーキョー・コレクションの警備だ」
 彼は今日、 『トーキョー・コレクション』と呼ばれる大掛かりなファッション・ショーの警備責任者として、シャーロキアン・システムの運営にあたることになっている。
 元々は、警備システムも犯罪予測プログラムも飛騨ジェンクスの頭脳が生み出したものだが、その飛騨が月を離れられないため、リィンが責任者として警備に赴くのだ。

*     *      *

 トーキョー・コレクションの舞台裏はセミヌードのモデルたちでいっぱいだ。
 セミヌードどころかオールヌードも存在する。
 彼女たちは、デザイナーの意図によっては、下着を着けないことを要求される。
 それに、短い時間で着替えて、ステージに出て行くためには、一番効率のいい場所で着替えることになる。
 そのことに慣れているため、男性がそばにいても頓着しない。恥らっていては仕事にならないのだ。
 だが、リィンのほうは目のやり場に困ってしまう。
 顔を赤らめて眸をそらすさまがおかしいとモデルにからかわれる。
 彼女たちにすれば、リィンの様子が「かわいい」ということらしい。
(ドギマギしてちゃ、仕事にならないよな)
 仕事に来ているのだから。
 リィンが派遣されたのには、2つの理由がある。
 1つは、毎年のことながら、あまりの人出の多さからから、事件や事故が多発するということ。
 2つめは、今回のコレクションがテロの標的になる危険性があるということだ。
 発表されるコレクションに政治的、あるいは宗教的なメッセージがあるなどとは、リィンには思えないのだが、人の考え方というものは、千差万別だから、狙っている人物がいるという情報が入れば、警戒しないわけにはいかない。
 自然発生的な事故は仕方がないとしても、テロは防がなくてはならない。
 リィンは、予測プログラムに基づいて警備スタッフに指示をだしながら、次々と発表されるコレクションを視野の端でとらえていた。
(そろそろラストだな…)
 ショーは順調に進んでいると見えた。
 にわか仕込みの知識によれば、ショーの最後はウェディング・ドレスというのが定番らしい。
 そして、今まさに舞台奥から白いドレスを着けたモデルが歩みだそうとしていた。
 手には清楚な白いブーケ。
 ドレスに留めつけられたパールの上品な光沢。
 ドレスそれ自体のシルクの艶やかさ。
 華やぎと落ち着きと幸福感がうまく表現されていた。
 エスコート役の男性に導かれて、舞台のターン位置まで歩を進め、振り返ったそのモデルは――
(ジョーカー!)
 リィンはもう少しで叫び声をあげるところだった。
 モデルは紛れもなくジョーカーだった。
(きれいだ★)
 一瞬、仕事を忘れ、うっとりと見つめる。
(大昔の映画のシーンに、花嫁をさらって逃げるってのがあったっけ…)
 ぼんやりと考えたリィンの身体がふわりと宙に浮いた――宙に浮いたかのごとくにジョーカーが彼を抱きかかえていた。
 ウェディング・ドレスのジョーカーが、女性の姿のまま、リィンを抱えあげていたのである。
「うふ♪」
 いたずらっぽい微笑を浮かべると、ジョーカーは客席に飛び降り、そのまま出口へと向かう。
(……)
 ステージ上では、男性モデルが何か白い箱のようなものを掴みだし、力任せに引きちぎった様子がチラリとリィンの目に映った。しかし、それもほんの一瞬のことで、もっとしっかりと見ようと思った時には、ジョーカーは会場の外に走り出ていた。
 あまりといえばあまりの成り行きにリィンは言葉もない。
 だが、状況は不幸ではない。むしろ幸せだ。
 立場が逆だという思いはあるが、言うべきではあるまい。
 会場内では、大きな騒動になっていることだろうが、それも今は問うまい。
 今朝の夢は、このことを暗示していたのかもしれない。
(ジョーカー)
 リィンは、抱き上げられた状態のままジョーカーに口づけた。


【Ding-Dong (2)】に続く

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