時にはフロイト気分で……(1)

「わたし、リィンを見損ないました!」
 言いざま、ジョーカーが僕の頬を打つ。
 思わず横を向いてしまうほどの強烈な平手打ち。
 いったい僕が何をしたというのだろう。まったく心当たりはないのだが、ジョーカーがこれほどまでに怒っているところを見ると、何が原因なのかわからないままに怒らせるようなことをしでかしたということなのだろうか。
 これまでにも、ジョーカーとは何度か小さないさかいはした。でも、喧嘩をしたことはない。本気でぶつかったことなど一度もなかった。
 僕はジョーカーに本気でぶつかっていくだけの勇気がなかった。情けないことだけれど、ジョーカーに対しては怒りそびれてしまう。
 ジョーカーが男の姿になったり女の姿になったりと、性別が一定していないこともその理由の一つではあるけれど、それよりも本気でぶつかって、ジョーカーを失うことになってしまったら……その時のことを考えると怖くてぶつかることができなかった。
 ジョーカーのほうは――直接問いただしたことはないけれど――おそらくジョーカーのほうは僕との恋も計算ずくのものだから、本気でぶつかったり喧嘩したりする必要もないと感じているのだろう。悔しいけれど……。
 ジョーカーは、何に対しても、誰に対しても、もちろん僕に対しても、その時点・その時点では本気なのだということはわかっている。本気で――そして計算ずくなのだ。
 そのジョーカーが僕に対してストレートに感情を――あまりにもストレートすぎるという気もしないでもないが――ぶつけてきた。これは新鮮な驚きだった。
 頬の熱さ(痛いのを通り越して熱いと感じるほどの平手打ちだった)も遠のく。
 ジョーカーのほうも驚きだったようで、自分の手を不思議なものでも見るような表情で見詰めていた。
 こんな時、何を言えばいいのだろう。
 ジョーカーに何と言えばいいのだろう。
 言葉をさがす僕の目の前で、にわかに霧が湧きあがった――いや、そうではない。霧が湧きあがったかのように目の前が霞むと同時にジョーカーの姿が消えてしまった。
「ジョーカー!ジョーカー!」
 手を伸ばして必死に叫ぶ。
 
 目が覚めた。
 どうやら、実際に声に出して叫んでいたようで、自分の声で目が覚めたみたいだった。
 複雑な気分の目覚め。
 夢の中のジョーカーは女の子の姿をしていたという点がちょっと嬉しいけど、『夢は願望の現われ』というから、これは僕の願望が投影していた結果だ。
 ジョーカーと喧嘩をしていたという点は――
 ジョーカーが掻き消えてしまうというのは――
 何か悪いことが起こるという前触れでなければいいのだけれど……。
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