ET MAINTENANT 3



 C-Uは、ジェンクスの方に足を踏み出した。
 トクリ
 心臓が鳴った。
 トクリ トクリ
 近づくごとに心臓がおどる。
 いよいよ楽しいことが始まろうとしている。
 待っていた時がついに到来したのだ。
 飛騨ジェンクスが、この場に現れたのだ。
 誰よりも先に抹殺したいと感じている六道リィンが、何の抵抗もできない状態で目の前にあるのだ。
 C-Uは、自分の唇がゆっくりと笑みを形づくるのを感じていた。
 こんなにも、この時を待っていたのだとわかる。
 トクリ トクリ
 トク トク
 鼓動がはやくなる。
 視界には、ジェンクスしかない。
 あと数歩――あと数歩でジェンクスに手が届く。

 C-Uがジェンクスのほうに手を差し伸べた。
 と同時に、ジェンクスが体ごとC-Uのほうに向いた。
 瞬間、C-Uの頭の中で何かがスパークした。
(なんのために手をさしのべているのか)
 彼女の中に疑問が生まれる。
 何をするつもりだったのか、と自問する。
 ジェンクスを相手にあそぶ。それは間違いない。さきほども言われたではないか「楽しくあそんでおいで」と。
 では、どうすれば、遊べるのか。
 手を差し伸べていれば遊べるのか。
 そうではないような気がする。
 遊ぶためには、もう少し他の方法があるはずだ。 
 C-Uは正対しているジェンクスから視線をそらした。
 ふいに、頬が熱くなるのを感じた。
 トク トク トク
 鼓動が大きい。
 鎮まれ心臓。
 自分自身に命じてみるが、いうことをきかない。
 名状しがたい昂揚感が体を包む。

 ここで力強さをアピールすれば、ジェンクスに喜んでもらえるだろうか、と考える。
 カルストは、彼女のパワーを褒めてくれた。
 ジェンクスも同じように褒めてくれるだろうか。
 ちらりとジェンクスの方に目をやった。
 だが、答えは与えられない。
 実際にやってみるしかない。
 C-Uは、リィンの縛り付けられている台に近づくと、片手でその端を捻じ曲げた。
 グニャリ
 あっけなく台は変形した。
 自分でも、綺麗に曲げることができた、と思う。
 褒めてもらえるだろうとの期待を込めて、まっすぐにジェンクスの目を見つめる。
 しかし、ジェンクスは、表情を変えない。
 これでは、まだ足りなかったのだろうか?
 もっと凄いことをしないとジェンクスは気に入らないのだろうか?
 それとも、褒めてほしそうにしたのが、いけなかったのだろうか?
 どうすれば、ジェンクスは喜ぶのだろう?
 真剣にC-Uは考える。
 彼女は真剣に考えているのだが、しかしながら、その様子は第三者の目には恥らっているようにも、しなを作っているようにも映る。

 ジェンクスのほうも無表情ながら、しっかりと考えている。
(パワーでは、とうてい太刀打ちできない。もっとも、頭脳で私に勝てるものなどいないのだから、互角にはもちこめる。しかし……)
 ちらりとリィンの方を見てから、ジェンクスが口を開いた。
「あれは、私の部下なんだが、返してもらうわけにはいかないかな」
 現時点では、リィンはジェンクスの部下ではないのだから、『元部下』というべきだが、この場にはそれをとやかく言う人間もいない。
「まだまだヒヨッコで、力不足だが、それでもいないと不便なんだ……」
 ジェンクスはリィンの救出を目的にしているわけではないが、人質をとられた状態というのは、足枷になる。
 一人で赤のキャラバンに対処するよりも二人のほうが効率的に行動できる。
 ジェンクスとて、簡単に彼の要求が容れられるなどとは思ってもいない。
 簡単に聞き入れてもらえるようなら、そもそも最初からこんな状況にはなっていなかったはずだ。
 とりあえず、拒否されることを前提として言ってみた。
 だが、おもいがけず反応があった。
「ハグハグ」
 C-Uが答えたのである。
「それは、交換条件ということかな?」
 C-Uは嬉しそうにうなずいた。
 C‐Uが要求するところの「ハグ」とは、「hug」とイコールであろう、とジェンクスは推測する。
 これがどういう理由によるのかはジェンクスには不明だが、C-Uが自分にひとかたならぬ好意を寄せているらしいというのは、表情からも態度からも明らかだ。彼女の希望を叶えれば、それに見合うだけの行動をもって応えてくれるに違いないないと確信する。
 そうであるだけに、希望が叶えられない場合――ジェンクスが拒否した場合に起こるであろう事態も、並外れたものになると予測できる。 怒りの矛先が真っ先に向くのはどこか。
 愛しさ余って憎さ百倍、などという状況にならないことを祈りたい、と思ってしまう。
 赤のキャラバンはリィンをジェンクスの愛人とみなしているから、C-Uにも、そのように教育していることだろう。
 とすれば、矛先が恋敵たるリィンに向かうことになるだろう。最悪の場合、命に危険が及ぶ。
 ジェンクスの頭の中で、選択肢が箇条書き状態で明滅する。
 @ リィンには、自力脱出を期待する。
 A 見捨てるわけではないが、他の方法を模索する。
 B 人ひとりの命のためと割り切る。
 C 利害関係も恋愛関係にもない人間だから人質としての価値はないと主張する。
 ジェンクスの個人的希望を言えるなら、躊躇わずに@を選択する。しかしながら、今は個人的感情を排する必要がある。彼の目的のためにはここで騒ぎを大きくすることは得策ではない。
C-Uの感情を考慮にいれて考えれば、要求をのみさえすれば、彼女を味方につけることも可能だろう。
(それしかないか)
 ジェンクスの理性は「C‐Uの望みどおりに行動せよ」と告げている。
 しかしながら、彼の感情は理性と同じ判断を下さない。
 C-Uのパワーを思うと、ハグが単なるハグで済まないかもしれない。自分自身のパワーをどの程度のものと認識しているか(あるいは認識してはいないか)わからないのだから、ジェンクスの身の安全さえ保障の限りではない。
 彼女にとっては、ぎゅっと抱きしめるだけの行為も、それを受ける側には相当の体力的・精神的覚悟が必要だ。多少の苦痛と呼吸困難くらいで済めば幸い、下手をすれば骨折もあり得る。
 かつて「ベア・ハグ」という格闘技の技が存在していたという情報がジェンクスの脳内から引き出されてくる。
 それは、その名の通り熊の如き怪力で相手を締め上げるという技で、技術よりも力の強さに重点がおかれているのではないかと思われる。
 その技によって脊椎に損傷を負った選手がいたという情報も連鎖的に流れ出てくる。
 ジェンクスは、記憶の糸を辿りたいわけではないが、ほとんど無意識のうちに情報を引き出してしまっているようで、止められなくなる。
 彼の頭脳は無事に解放される確率・少々の怪我で済む確率から最悪のケースに至る確率までを算出してしまう。
(苦しさの余りもがいたりなどしようものなら、拒否されたと感じて、hugからhangになるかもしれない)
 考えたくもない事柄が心に浮かぶ。
 こんなふうな命を的にした一か八かの賭けなどジェンクスの忌避するところではある。
 周到に計算し、用意し、確実に勝ちを引き寄せるのが、賢いやりかただ。
(合成人間に想いを寄せられるなどという項目があるとはな……)
 自身の頭脳をもってしても予測不可能だった事柄のせいで今回は賭けに出ざるを得ないが、こんなことは二度と御免だと心の中で呟く。
「わかった。ハグハグだな。優しく頼むぞ」
 それを聞くや、C-Uは満面に笑みを浮かべながらジェンクスに駆け寄り、腕をまわした。
 ジェンクスのほうは、腕を広げることができなかった。
 まったく、そんな気分になれなかった。
 C-Uの突進(駆け寄るというよりは突進といったほうが適切である)のまえには、それだけの余裕がなかったとも言える。
 それは、彼にとっては仕方のないことではあったが、この後に起きる事に対処するためには、片腕なりともC-Uの背に回しておくべきだった。
 みっしりとした筋肉の質量がジェンクスの背中に感じられる。
 その質量が、ジェンクスの体を締め上げる。
 C-Uにとっては、締め上げているなどという意識はないのかもしれないが、ジェンクスにとっては、きつく締め上げられており、とてものことに抱擁などと呼べるような生易しいものではない。
 ジェンクスは両腕を脇につけた状態で抱きしめられている。
 きわめて一方的に抱きしめられているのだ。
「苦しい。ちょっとゆるめてくれ」
 ジェンクスの願いもC-Uの耳には届いていない。
「頼む。苦しいんだ」
 今ジェンクスが動かせるのは口と指の先だけという状況である。
 頼みの綱とする言葉も、それを聞こうとする意思のないところでは何の役にもたたない。
 あいかわらず、C-Uの腕の力が緩むことはない。
 ジェンクスの両腕はすでに痺れてきている。
 肺はもっと空気を送り込んでくれるようにと求めている。
 酸素の補給が悪いせいなのか、心理的な影響が大きいのかひどい頭痛がする。自分の鼓動に頭蓋骨が同調している。
 それでも、C-Uが満足するまでは、我慢しているしかない。
 自分自身の身の安全のために。
 リィンの命の保障のために。
 
 これらの様子をモニターで見ていたカルストは薄い笑みをもらす。
「飛騨ジェンクスもこの程度か……」
 C-Uが、このまま強い力でジェンクスを締め上げて、肉体的な反抗力を奪ってしまうのを待つだけのことか、と少し失望する。
 C-Uが、与えられた命令を実行できないほどにジェンクスの抵抗が強いのも困るが、少しくらいは楽しませてくれてもいいのに、という思いもカルストの中にはある。
 無抵抗の者を嬲り殺しにしても嬉しくはない。必死の抵抗も空しく、処分されて行くさまをこそ、彼は見たいのだ。
「あと、少し…かな」
 あとわずかで、ジェンクスの肉体は使い物にならなくなるだろう。
 しかし、その「わずか」が、いつまでも続く。
 いっかな次の段階には進まない。
 モニターに目をこらすが、C-Uの腕には、なにほどの力も込められているようには見えない。本当に「ハグハグ」しているだけのように見える。
 C-Uの表情に目を移したカルストは、愕然とする。
 C-Uは、陶然とした表情をしているのだ。
 一瞬、モニターが壊れたかと思った。
 間違ったものを映し出しているとしか考えられなかった。
 ジェンクスに注意を移す。
 こちらは、紛れもない苦悶の表情だ。
 これ以上強い力で抱きしめられたなら、確実に意識を手放さざるをえないだろう、と推測できる。
 これらのことから総合するに、モニターが壊れたわけではない。
 C-Uが命令を無視しているのだ。
 いや、最初から無視していたわけではない。
 途中で、C-Uになんらかの変化が生じ、カルストの命令よりも優先されるものが発生したのだ。
(基盤になる遺伝子をキャルのものにしたのが間違いだったのか……)
 基盤がキャルのものだといっても、遺伝子配列のことであって、感情を移植しているわけではない。赤のキャラバンで過ごした日々のことは、少々脚色を加えてCタイプの性格因子のひとつにはしたが、それとても、従順に命令に従わせる役目を担っているだけのことだった。
 刑事として日本州警に潜入してからのことは、一切教えていない。むろん、飛騨ジェンクスと出会ったことも、同僚だった六道リィンのこともバーリーのことも、記憶からは消去されているはずだ。
 当然のことながら、ジェンクスを愛していたことなど真っ先に抹消済みだ。
 であるのに、モニターに映し出されているのは、どうみても恋する乙女である。――C-Uの外見が乙女という表現に相応しいかどうかは、この際、別問題である。
(誰だよ、合成人間に「恋」なんていう概念を教えたのは)
 カルストは、だれもいない部屋の中で頭を抱えた。

 同じ頃――
 ジェンクスは酸素不足に悩まされながら考えをめぐらせている。
 いっそ、C-Uを有頂天にさせるような行動に出れば、現状から解放してもらえるだろうか。
 たとえば、C-Uの頬にキスをするといったような、彼女の意表をつく行動にでれば、すぐにも解放してもらえるだろうか。それとも、喜びのあまり、更に腕の力が強くなるだけのことだろうか。
 C-Uが合成人間であるという点、生まれでてからそれほど長い時間が経過しているわけではなさそうな物言いから推察すれば、キスに慣れているとは思えない。
 というよりも、誰も彼女にキスなどしてはいないだろう。
 キスという行為がどういう意味合いをもつのか、という点をC-Uがすでに理解しているかどうかが、はなはだ不明で、意を決して実行に移しても、何のリアクションも返ってこないという場合だってあり得るのだが、それでも、知っているのかどうかを聞きただすわけにもいかない。尋ねてしまっては、意表をつくことにはならない。
(とりあえず、ハグハグという概念はあるんだから……)
 キスの意味も知っているとの前提で行動するしかない。
(こんなこと、本当に、二度とやらんぞ!)
 ジェンクスは心の中で固く拳を握り締めると、己の推理を検証するための行動にでた――C-Uにキスをした。 

【END】      

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