METAL BLUE + METAL RED (2)

 まぶしい。すべてがまぶしい。
 照りつける太陽の光が、白い雲を浮かべた空の色が、うち寄せる波しぶきが、そして何よりもジョーカーの水着姿がまぶしい。

 惑星間経団連の会議が行われていた間、ジョーカーを一人でマリン・シティに待たせたまま、僕は引き続き警備の仕事をこなし(本物の弓人さんは、さすがに僕が音をあげるほどにはタフではなかったのは助かった)会議が終わるやいなや課長に電話をかけて有給休暇をもぎ取った。
 そして議場になっていたチチジマ列島からマリン・シティまで飛んできた。文字通り一人乗りのシャトル・ポッドに乗って。
 急いで駆けつけた僕を出迎えてくれた時の、ジョーカーのかわいさといったら! 
 ウエストの部分をナチュラルにしぽったサンドレスのすそが、潮風に吹かれて少し揺れ、丸いすべすべした肩が沈みかけた夕日に照らされていた。髪はポニーテールで、サンドレスとおそろいの柄のチーフで結んであった。耳にはパールのイヤリング。これは以前僕がプレゼントしたものだ。
 ああ、かわいいジョーカー。何度生まれ変わっても、いつ、どこで出会おうとも僕は魅かれずにはいられない。何度でも恋をするだろう、ジョーカーとなら。たとえジョーカーにとって、これが計算ずくの恋であったとしても。
 ああ、僕はいったい何を考えているんだろう。理性も思考能力もどこかに置き忘れてきてしまったのかもしれない。
 それでも今だけは許してもらおう。目の回るような二週間あまりの忙しさから解放された今だけは。
 
 水着姿ではしゃぐジョーカーが、本当に普通の女の子に見える。
 太陽の下で過ごす時間が肌を灼くけれど、そのことさえ気にならないほど楽しそうに笑うジョーカーを見ていると、忙しかった日々さえこの幸せのためにあったのだと思える。
 普通の恋人同士のように逢いたい時に逢ったり、行きたいところに気ままに出かけたりはできないけれど、それだからこそ二人で過ごす時間が貴重なのだ。
「ねぇ、リイン♪明日はスポーツ・フィッシングにも行きたいの♪」
 隣に座り、僕の顔をのぞき込むようにして言うジョーカーの言葉にコクコクとうなずき
「いいね。僕も明日になれば、それくらいの体力は回復しているはずだよ」
「今はね、ブルー・マーリンやセイル・フィッシュのシーズンなんですって♪」
 表情から察するに、一人で待っていた間にレジャー情報を集めていたらしい。
 そして僕が釆たらあれをしよう、これもしようと計画を立てていたのだろう。
 今日の僕はまだ疲れが抜けきらなくて、ホテルのプライベート・ビーチでのんびりと過ごす以外にできることはないけれど、せっかく楽しみにしているジョーカーのためだもの、明日までには体力を回復してみせる。きっと。
「3メートルくらいに育っているそうですよ。楽しみですね」
「3メートル?」
 思わず聞き返した。
「はい」
 ジョーカーの答えはとってもストレートなものだった。
 僕は内心冷や汗をかいていた。これまで、何度か釣りをしたことはあるけれど、3メートル級の大物を釣ったことなんて一度もない。せいぜいが50センチといったところだった。
 それでも約束してしまったからには、取り消すことはできない。なによりそれを望んでいるのがジョーカーなんだから。     

*         *         *

 どこからか小鳥のさえずりが聞こえる。
 二重ロックの窓の外からということはあり得ないから、自然に聞こえるようにして室内にBGMとして流されているものなんだろう。
 僕はゆっくりと目を開く。
 隣にはジョーカーが……
 いなかった!
 眠気もふっとぶ。
 目覚めたらジョーカーがいなくなっているなんて!
 今日も一緒に過ごす約束をしていたのではなかったか?
 スポーツ・フィッシングに出かける約束をしていたのではなかったか?
 急な任務が入って月に呼び戻されたのだろうか?
 ジョーカー、答えてくれよ!
 その時、ドアが開いて一人の人物が入ってきた。
「目が覚めていたんですね」
 ジョーカー!ああ、ジョーカーだ。男性型になっていることはこのさい脇に置くとして、ともかくこの場にいてくれるだけでいい。
「リィンが目を覚ます前に準備を終えて戻ってくるつもりだったんですが……」
 申し訳なさそうに少し首をすくめた姿に僕は何も言えなくなる。僕を起こさないようにしたのも、一人で先に準備をしていたのも、すべてジョーカーの思いやりから出たことなのだから。
 僕を置いてどこかに行ってしまったのではないか、と考えたのはいつもそれを心配しているからにほかならない。いつか本当に「その時」が釆て、どんなに手を伸ばしても、どんなに叫んでも、ジョーカーをつなぎ止めておくことができなくなることを恐れているから。
 でも今はそんな思いを表情に出すべきではない。
 僕は大きく伸びをすると
「今日もいいお天気だね。さあ、釣りに行こうか」
 少し大きな声で言った。
             
 マリーナのところで二人の人物――S−Aと秋津さんが僕たちを待っていた。
「遅かったんだな。もう出発しようと思ってたんだぞ。どうせ六道リィンが寝坊でもしたんだろう」
 S−Aは、はじめからトゲのある物言いだった。
「そんなふうに言うものではありませんよ。大勢で行ったほうが楽しいですよ。一人で釣り上げるのは無理ですしね。魚は大きいですから」
 秋津さんがS−Aをたしなめる。
 ジョーカーは誰と一緒に行くとも言わなかったけれど、この二人と行く計画を立てていたものらしい。
 秋津さんは別としてS-Aは僕のことを快く思っていない、というのはジョーカーには理解の範囲を超えているのか、それとも自分と表裏一体の存在であるS−Aとも仲よくしてもらいたいと思っているのか。
 どちらにしても今日は秋津さんも一緒にいるから、そうひどい事態にはならないはずだ、と思いたい。
「さあ、行きましょう」
 ジョーカーがにこにこしている。
 どうやら今日は一日中男性型でいることに決めているようだ。僕は少しがっかりしている。釣りをするなら、それも2メートルから3メートルはあろうかという大物を釣ろうとするなら、男性型でいる方が自然だし、かわいい女の子としてのジョーカーは僕だけが独占していたいからそれでもいいわけだけれど、それでもちょっと残念なのも事実だ。
「何をぼんやりしているんだ。本当に置いていくからな」
 つけつけと言うとS-Aは係留されているクルーザーに飛び乗った。
 それは大きなクルーザーだった。キャビンも広くてゆったりとした作りになっている。内装に使われている素材は本物で、真新しい木の香がしている。柔らかなソファは身じろぎする度に少しずつその形状を変化させ、座っている人を包み込むようにできていた。
 「フィッシング・ポイントに着くまで、ゆっくりとくつろいでいて下さい」
 そう言って秋津さんは操縦席に座った。
(これって、秋津さんの持ち物なんだ!)
 僕はテレビ・ドラマ『特捜司法官S-A』の主演俳優のリッチさに目を見張る思いだった。
 でも考えてみれば秋津さんが僕のような公務員とは比べ物にならないくらいのギャラをもらっているのも当然のことかもしれない。平均視聴率40パーセントを越える人気番組の主役を張っているのだから。
 クルーザーがゆっくりと動き出し、舷側をたたく波の音が聞こえる。船は次第にスピードを増し、それにつれて波に揺られる感じが大きくなる。マリーナにいた時には、海は、べ夕なぎの状態に見えたが、やはり沖に出ると波があるようだった。
(あっ、何かちょっと気分悪いかも……)
 どうやら船酔いらしいと気づいた。
 自分の体を中心にして前後左右すべての方向に向かって揺れているような感じがする。同時に全方向に向かって揺れるなんていうことはあり得るはずはないと理性ではわかっているけれど、それでも三半器官は理性の枠を超えて勝手に暴走を始めてい
る。
 横目でジョーカーやS−Aのほうを窺う。
 二人ともまったく平気な様子に見えた。
 ジョーカーもS-Aもあらゆる種類の免許を持っているから、クルーザーの操縦もお手の物だろう。
 現在操縦中の秋津さんが相当の腕前だというのは、テレビの番組で見る範囲からでもわかることだった。秋津さんはスタントを使わずにアクションシーンをこなしているというのは僕でも知っていることだから。
 この場にいる四人のうち船舶免許を持っていないのは僕だけだった。自分で船を操ることのできる人には、こうした揺れは当然のことで、船酔いになったりなんかしないものらしい。
 あるいは彼らの三半器官は強靭にできているのか。
 いずれにしても僕だけが、情けない状態になっているというわけだ。
「リィン?顔色が悪いようですけれど?」
 ジョーカーの問いかけにも答えることができない。
 この時にはもう限界に近いところまで気分が悪くなっていた。
「船酔いだろ」
 S−Aが冷たく言い放つ。
 その言い方に対して腹を立てる元気もない。
 美しく整えられたキャビンを汚すことはできない。どうにかしてここを離れなくてはならないが、トイレの場所を尋ねようにも口を開くことができない。
「リィン、デッキにあがりましょう」
 ジョーカーが救いの手を差し伸べてくれた。僕は屑を貸してもらい、よろけながらデッキに出た.
 強い陽ざしに目がくらむ。
 一瞬、世界が暗転したように感じた。
 それでも頬をたたく風に少しずつ世界が戻ってくる。
 それと共に自分自身も戻ってきた。
「大丈夫ですか?やっぱり、まだ、身体の芯には疲れがたまっていたのかもしれませんね」
 心配そうに顔をのぞき込んでいるジョーカーと目が合った。
「ゴメン。大丈夫だから……」
 まだ言葉に力が入らない。それでも声を出せるようになっている。もう少し風に吹かれていれば、しゃっきりするだろう。
 ジョーカーの言葉どおり、僕の疲労はそうとう根の深いものだったのかもしれない。この調子では、帰りもキャビンに入るのは無理だろうけれど、すっきりと晴れわたった空の下にいるのだから別に何の不都合も起こらないだろう。
 元気が戻ってきた僕はあらためてデッキを見回した。
 大物釣りを想定してセッティングされた船であるらしく、フィッシング・シートが二脚セットされている。50センチ級の魚を相手にするならいざ知らず、1メートルを越えるような魚の場合、フィッシング・シートに深く腰を下ろし、横に渡されたバーにしっかりと足をふんばってリールを巻き上げなくては、引き上げることなどできはしない。もちろん竿を
腕だけで支えることなんて不可能だから、ちゃんと固定しておいた上でのことだ。
 
 クルーザーが徐々に減速し、静かに停止した。
「さあ、フィッシング・ポイントに着きましたよ」
 秋津さんの声が聞こえた。
「六道さん、気分はどうですか?慣れないと船酔いってつらいんですよね」
 僕を気づかってくれる。
 その後ろにいるS-Aの眸は険しい。
 僕は気づかない振りをしてその視線をはずし、釣りの準備を始めた。
 餌をつけたものとルアーの準備をしておいて、まず餌をつけた方を投げこむ。
 道糸は潮の流れに任せて100〜150メートル流し、竿を固定する。
 続いてルアーを投げ、少しずつ巻き戻しながら水平線を見やる。はるか沖合いに白いしぶきが上がるのは鯨かもしれない。もちろんヤシマ合成生物研究所で復元されたものに違いないのだろうけれど、大いなる生き物の住んでいる海は本当に豊かだということができるだろう。
 人間は、これまでたくさんの種を絶滅に追い込んできたけれど、この先は、合成されたものであれ、バイオテクノロジーによって復元されたものであれ、さまざまな生き物たちと共存してゆくことができるといい、と願う.
 「リィン、ほら、引いてますよ」
 まさしく、餌をつけて流してあった方の竿が大きくしなっていた。
 魚に船の下に潜り込まれないように注意しながら竿を手にする。
 フィッシング・シートに腰を落ち着けて、音がするほどにバーを踏みしめる。
 ジョーカーが後ろから竿をホールドしてくれる。
 僕一人だけでは支えきることができない。
 魚が走るのに合わせて竿の向きを変え、引っ張る力が弱くなったところを見計らって竿を少し倒しながらリールを巻く。
 竿を倒し切ったところから立ち上げてまたリールを巻く。流した道糸の長さの分だけ同じことを繰り返す。
 釣り上げられまいと魚が抵抗する。逃げようとする魚の力の強さに腕がしびれる。
 30分以上、もしかしたら1時間近くも同じことを繰り返した結果、水の中に魚の影を見ることができた。
 大きい。水の屈折のせいで実際よりも大きく見えているのかもしれないけれど……。
 「やあ、これは大きいですよ」
 最後は秋津さんにも手伝ってもらって引き上げることができた。
 船に上がってきたのは2メートル近くあるセイル・フィッシュだった。その名前の由来になっている背びれが大きく広がっていた。重さを量っていないけれど、200キロぐらいはありそうだった。もちろん天然もののセイル・フィッシュはこんなに重くならない。スポーツ用に改良されたものだからこそ重い。こんなに大きな魚を釣りあげたというのが何だ
か信じられない気分だ。
 隣のシートでもS-Aが魚と格闘中だ。さすがに彼は一人で竿をホールドしているし、リールを巻き上げる際にも左手で竿を支えたまま右手で巻き上げることができる。僕が竿を支える時には両手をつかわなくてはならなかったり、リールを巻き上げる時にはギリギリと軋み音を立てながら巻いていたのとは違い、それぞれの動作が滑らかで余硲を持って行っているように見える。
 合成人間である彼は、右手も左手も同じだけの力をそなえているのだろうが、右利きの僕などから見れば、左手で竿を支えられるということに驚かされる。
 S−Aの上腕の筋肉にグッと力が入ったかと思うと、一気に竿を立てあげて魚をデッキに引き上げた。
 上がってきたのはブルー・マーリンで、1.5メートルくらいだった。僕が苦闘していたものよりは小さいとはいえ、100キロは優に越えているに違いない。
 そのまま持ち上げようとしてさえ、100キロというのは簡単に持ち上げることのできる重さではない。まして逃れようともがく魚をあまり太くもない道糸で引き上げるのは、実際の魚の重さの何倍にも増幅されて感じられるものだ。それをやすやすとやってのけるS−Aの底知れない強さを見せつけられた。
 そのS-Aは大物を釣りあげた興奮も見せていなければ、それまでの格闘の名残も表情からは読み取ることができない。
 もし、この場に僕やジョーカーがいなかったら、ならもっと違つた表情を見せているのかもしれないが、ここにいるのは特捜司法官としての――オフを海で過ごしているだけで、明日からはまた任務に戻ってゆく司法官としての彼でしかなかった。
(何だか少し……淋しい……)
 たとえ特捜司法官として生きることしかできないにしても、彼とて普通の人々と同じ感情を、いやそれ以上に感じやすい心を持っているに違いないのに。
 僕の感傷をよそに
「秋津、あれを」
 S−Aが、はるかかなたの空を指さした。
「急がないといけませんね。大荒れになる」
 僕には何が起こったのか理解できない。
 空は青く晴れわたっており、白い雲の聞から太陽が顔をのぞかせている。風はゆるやかに吹き、波も沖合いとしては低い方だ。 S−Aが指さしたほうに目をこらしてみても何も見ることができない。
 天体望遠鏡並みの視力を誇る特捜司法官のS−Aが、並の人間に見えないものを視ているというのはわかるけれど、銀色の人工眼球だとはいえ僕たちと同じくらいの視力しかないはずの秋津さんの眸にもとらえることができるものとはいったい……。
 思う間に秋津さんはクルーザーを∪ターンさせ、マリーナにむけて発進した。
 勢いよく加速する。
 風をきり、波しぶきをたてて進む。
 常に落ち着いている(少なくとも僕の知る範囲では常に落ち着いている)秋津さんをして乱暴な操縦に駆り立てる何かが近づこうとしていた。
 それが何なのかはわからない。それでも急がなくてはならない何か。
 急がなくてはならないということはわかっても、僕にできることは何もない。ただぼんやりとデッキに立っているだけだ。
 自分が何の役にもたたないという無力感。
 そしてようやく僕にもわかった。その正体が。
 空の一点が少し灰色になったかと思うと一瞬にしてそれは空の全体を覆いつくし、見る間に灰色が濃くなって大粒の雨が落ちてきた。痛いほどの雨がたたきつける。それまでの好天がうそのように、あるいはまるでドラマの撮影に使う人工の雨のように。

「リィン、キャビンに入らないとびしょ濡れに……」
 ジョーカーの声が聞こえた時には、すでに全身ぬれそぼっていた。
「このぶんでは四・五日は天候が回復しないでしょうね」
 ジョーカーが僕の隣に並んだ。
「こんなところにいたら濡れちゃうじゃないか。中に入ってなくちゃ」
 僕の言葉に首を振り
「大丈夫ですよ。私は丈夫にできていますから。それより、リィンが風邪をひくんじゃないかと心配で」
 言葉の途中で声のトーンが変わった。
 今や僕のとなりに立っているのは女性型になったジョーカーだった。雨に濡れて服が肌にはりつき、身体の線があらわになっている。男性型だった時に大きく開いたままになっていた襟元から胸の谷間が見える。
「だめです。女の子がそんな格好で……」
「でも、今ここにはリィンしかいないでしょ」
 ジョーカーは、自分がどんなに挑発的な姿になっているのか気づいていないのだろうか。何も着けていないよりも、こういうふうな姿の方が男心をくすぐるものだというのに。
 僕はジョーカーをそっと抱き寄せるとくちびるを重ねた。
 雨に濡れ、風を受けて冷えた身体にジョーカーのくちびるが熱かった。

【END】