Misfortune


「六道さん、おまんじゅう持って行きなさいよ」
 アパートの前まで戻ってきた時、大家さんから声を掛けられた。
「はい」
 大家さんの一言に逆らえるはずもなく、僕は、まんじゅうのパックを手に階段を上る。
(部屋に戻っても誰もいないんだよな……)
 独り暮らしも、もう随分と長いけれど、暗い部屋に戻って自分で明りをつける侘しさに慣れるということはない。
 誰か待っている人がいれば足どりも軽いんだろうけれど…。
 いや、待っていてくれる可能性がありさえすればいいのだけれど。
 こんなふうな考えに対して【待つことを要求される側の立場を考えたことがあるのか】と言われるかもしれないが、やはり待っている人がいてほしいと思う。
「ただいま」
 誰もいない空間に向かって声をかける。
 Pu・Pi・Pi・Pi
 ネットの端末が僕の声を認識して起動する。
 帰宅と同時に起動するというのは『緊急扱いではないネット着信あり』ということだ。緊急扱いのものは、携帯端末に転送させているし、何もなければ、端末は沈黙を守っているのだから。
(誰からだろ?)
 特に思い当たる相手はいない。
 開いてみると、そこには25件ものメールがあった。珍しいこともあるものだ。普段は、あっても2件か3件くらいのものなのに。
 ちょっとワクワクしながら内容をチェックする。
『ぼくとお友達になってください(女性限定)18歳、学生です。お返事待ってます』
(??これって……ナニ?)
 文面は友達募集ということになるんだろうけれど、相手を女性に限定してるってことは、単純に『友達』を探してるとは考えにくい。
 とりあえず、これは間違いメールだと考えることにして次に進んだ。
『僕としませんか?25歳♂inオオサカ。イイ経験になると思いますよ』
(一体、どうなってるんだ?)
 僕は頭の中をクエスチョン・マークだらけにしながら全部のメールに目を通した。
 その結果、最初のメールなんて、きわめてかわいらしいものだということがわかった。後のほうにいくにしたがって内容はハードで露骨な表現になって――つまりは18禁なもので、おまけにモザイクなしでは正視に堪えないような写真まで添付されていたりするのだ。
(僕のことを女の子と間違えてる?)
 メールから導き出される結論はそれだった。
 しかもこれらのメールを送ってきた人物は、僕のアドレスを知ってはいるものの、確実に返事が貰えるとは思っていないらしい。
 どうやら、個人のプライバシーたるアドレスを不特定多数の人間にむけて流した奴が存在するのだ。それも、意図的に情報を改竄して。
 これらのメールを送ってきた人物達は、相手が男で、そのうえ警察関係者だなんて思いもしないだろう。簡単にラブ・アフェアを楽しむことができる女性だと信じ込んでいるはずだ。そうでなければ、あられもない格好の写真なんか付けてくるはずもない。
(これは、個人情報が漏れてるってことか…)
 今回、たまたま僕がそのターゲットになったわけだけれど、知らないところでブローカーまがいの人間がうごめいており、本来守られるべき情報が売買されているのではないか、と思う。
 個人情報がガードされればされるだけ、一つの情報の価格は吊り上げられてゆく。需要と供給が価格に反映されるのは当然のことだ。そして、情報が高価になってくれば、これを利用して一儲けしようとする人間は、情報改竄も行なうということだろう。もしかしたら一個人がやっているのではなく、組織的に情報を集め、それらを『加工』して売りつけているのかもしれない。
(プライバシーの侵害にあたるわけだし、いきなりこんなモノを送りつけられるっていうのは精神的に苦痛でもあるよな)
 一応、署に報告して、捜査を開始したほうがいいかもしれない、と僕はなんとも言いようのないディスプレイ画面を睨みながら考える。
 その時、背後に人の気配が立った。
 振り返ると
「まぁ、リィンったら……」
 そこにはジョーカーがいた――手には食材が入っているショッピングバッグを持って。
「あ…ジョーカー……これは…」
 ジョーカーが来てくれた嬉しさと、その唐突な登場に対する驚きと、それまで見ていた画面への照れと、その他色々なものが胸の中で混じりあって、うまく言葉が出てこない。
「リィンってば、モテモテなんですね」
「いや、そうじゃなくて……」
(やばい、ジョーカーってば誤解してる)
 この状況を何とか打開しなくては、と焦る僕に
「私、急用ができました。帰ります」
 ショッピングバッグを僕に押し付けるなり、ジョーカーはくるりと背を向けて足早に歩み去ってしまった。
 追いかけようにも追いかけられない。今頃ジョーカーは、どこかのビルの上を走っていることだろう。
(ニセ情報を流している奴を絶対に逮捕してみせるぞ!)
 僕は固く心に誓った。

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