士道不覚悟(4)

『ほんの少々』と芹沢さんは言ったが、うわばみだといわれる芹沢さんの『少々』というのは、普通の人間なら完全に酔いつぶれる量の二・三倍に相当するのだった。これまで芹沢さんと呑んだことのない僕が驚くほどのピッチで酒を流し込み、合間に様々な料理に箸をつけ……僕は、見ているだけで食傷してしまう有様だった。
「総司くん、きみ、なにほども呑んでないし、食べてもないんじゃないのか。そんなことだから細っこいままなんだぞ。まぁ、きみにはそれが似合っとるし、太った総司くんというのは想像もつかんが」
「あの……ごちそうさまでした。僕、まだ見回りが残ってるんで……」
 じりじりと襖のほうににじり寄りながらいとまごいをしようとしていた僕は
「本題はこれからなんだ」という芹沢さんの言葉と同時に座敷に引き戻され、押し倒されていた。
「どうだね。動けまい」
 くやしいけれど、僕は身動きすることができなかった。芹沢さんに掴まれている手首は、まるで機械で挟みつけられてでもいるようで、指先がしびれてゆく。それにともなってどんどん冷えてゆくのがわかる。足のほうは袴を押さえつけられている。
(この怪力、とうてい同じ人間とは思えない)
(僕ってこんなに非力だったんだろうか)
 大人に押さえつけられている子供でももっと抵抗することができるのではないかと思う。
 芹沢さんは唇の端に満足そうな笑みを浮かべると、僕におおいかぶさってキスしてきた。
(やだ!こんな状況で芹沢さんにキスされたくない!)
 抗おうにも、芹沢さんの唇はねっとりと僕の唇を覆いつくしている。
 手も足も動かせず、ただ芹沢さんの欲望に身をまかせているしかないなんて!
(ジョーカー!)
 心の中で精一杯大きな声で叫んだ――いや、本当に声に出していたのかもしれない。
 『リセット・コードがインプットされた』
 どこか遠くから聞こえた声は、機械的で冷たかった。
(リセット・コード? インプット?)
 とてもよく知っているはずなのに、それが何なのか思い出せなかった。
 次の瞬間、世界がグニャリと歪んだ。
 芹沢さんの姿がほんの一瞬キャプテン・ゴートの姿になったかと思うと、次の瞬間にはそれさえも崩れて誰とつかぬ人物になり、更に人とも物ともつかぬ塊へと変じた。そしてそれはしだいに色を失って消えた。
 それから目の前に小さな点が浮かび上がったと見る間に人間の姿をとり始め、ジョーカーの――女性型のジョーカーの姿になった。
(これもまた夢なのだろうか?)
 僕は、夢から覚める方法を探していたはずだった――EDO=ERAにタイムスリップして沖田総司になったなどというわけのわからない夢から覚める方法を。
 でも、いま僕が目にしているのが真に現実なのだと、どうして言えるだろう。
「リィン? リィン、気分が悪いんですか?」
 ジョーカーが心配そうな表情で僕の顔を覗き込んでいた。
 僕はゆっくりと首を横に振った。
 沖田総司の役を振り当てられたその最初の時も気分がいいのか悪いのかよくわからない状態だったが、今はそれ以上にわからなかった。僕が自分のものだと信じていた身体も本当は誰かからの、あるいは、どこかからの借り物ではないだろうかという疑念を打ち消すことができない。
「もうちょっと粘るかと思ったが、案外早くギブアップしたな」
「S‐A、そんなことを言うものではありませんよ。ヴァーチャル・リアリティの実験に協力してもらってるんですから」
 ようやく僕は自分のおかれている立場を思い出した。
 ドリーム・プレイング・ゲームやヴァーチャル・リアリティの人体に及ぼす影響をデータ化するために僕はモルモット役をつとめているのだった。
(たとえ、これが入れ子の夢であろうとなかろうと、いま自分の前にあるもの、それこそが僕にとっての現実、僕にとっての真実なんだ)
 僕は小さく首をかしげているジョーカーを抱きしめた――S‐Aの睨みつけるような視線を感じながら。
 その姿勢のままで僕はジョーカーにささやく。
「さっきの…あの中にはS‐Aが登場していたよね、土方歳三役で。秋津さんもいたと思う。もちろん、ジョーカーもいたんだよね?」
 確かめる僕の言葉にジョーカーが小さくうなずいた。
「もしかして……」
 確かめたいような確かめたくないような自分でも複雑な思いのまま一人の人間の名前を言う。
 これにも、もう一度小さくうなずいた。
(もしもあの時、ジョーカーの名前を呼ばなかったら、芹沢さんになっていたジョーカーとXXすることになっていた?! S‐Aにモニターされたままで?!)
「ジョーカーのいじめっこ〜〜〜!」
 叫ぶ僕とS‐Aの視線が絡まった。
 彼は単に、薄く笑いを浮かべただけだった。
(いったい彼は何を考えているのだろう?)
 ふと浮かんだ疑問を胸に、僕はジョーカーを抱く腕に力を込めた――僕にとっての真実を逃がさないために。

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