その男■■■につき

 このところバーリー先輩は苛立ってる。
 女性には親切なはずの先輩が、ナイルや村上姉妹に対してつっけんどんな物言いをするようになっているし、容疑者に対する取り調べは苛烈だ。僕なんかにも
「六道!なんなんだよ、これは!」
 ほらきた。
 宿直明けで機嫌が悪いのはわかるけど、朝っぱらからバーリー先輩の怒鳴り声というのはいただけない。
 第一、僕は今しがた署に着いたばっかりで、先輩の機嫌を損ねるようなことは何もしていないはずだ。
 これでも、足蹴りがこないぶん、まだいいほうだなんて嫌になっちゃう。
 先輩ってばカルシウム不足?
 それとも睡眠不足?
 何にしても、はた迷惑なことこのうえない。
 誰だって理不尽に当たり散らされたら面白くないもんね。
 そのせいか、署内全体が苛立っている……というよりも、なんとなく社会全体が苛立っているように感じるのは僕の気のせいだろうか?
 いや、たしかにどこかしらギスギスしている。
 ちょっとした喧嘩ざたから殺人事件に至るまで、去年と比較しても発生件数が増えていることは間違いないと思う。きちんと数字を調べたわけじゃないけれど、僕達がそうした事件を扱う数が増えている。それも犯人を取り調べてみれば、きっかけはごく些細なものなのに、どうしても相手を許すことができなくてナイフを振るってしまっただの、手近にあった鈍器で殴りつけてしまっただのといった衝動的なものが多い。
 そして事件を起こしてしまったあとになって考えてみると、どうしてそんな行動に出てしまったのか自分でもわからないと犯人が供述するのだ。
 もしかしたらバーリー先輩が苛立っているのもこうした社会的な風潮と関連しているのかもしれない。
 周囲に八つ当りする程度でおさまっているというのはまだマシなほうなのかな?       

  *          *          *

 バーリー先輩に怒鳴られまくりの一日を終えてアパートに戻ってくると、郵便受けには大量のダイレクト・メールが届いていた。DMは一時期下火になっていたけれど、このところまた復活してきている。
(どうやって僕達の情報を入手しているんだろう?)
(個人情報を売買している組織があるってことなんだよね)
 本来プライバシーは守られるべきはずのものだけれど、かなり詳しい個人情報が取り引されているに違いない。だって、僕のところに届くのは独身男性向けのものばかりで、間違ってもベビー用品だのダイエット関連品のDMなんて届いたためしがないもの。
 それどころかバースディカードが送られてきたりさえするのだ、ちゃんと誕生日に。
 そんなことを考えながら着替えをしているとヴィジフォンが呼び出し音をたてた。
 僕は慌てて手を延ばしたが、留守モードのままになっていたヴィジフォンのほうが一瞬早く反応し、
『メッセージをどうぞ』という機械音で応答してから録画を始めた。

――この番組はあなたのお好きな時間にお楽しみいただけます。1番組30分で……

 画面に映しだされているのはペイ・パー・ヴューのアダルト番組のCMだった。しかもそれはかなり……その……なんとも……ボカシもモザイクもかかっていない露骨なものだった。
 ソリ・ヴィジョンにもアダルト番組はあるが、それらは放送時間が限られているのに対して、ヴィジフォンのアダルト番組は自分の好きな時間にコールすればその時間から好きなだけ楽しむことができ、24時間対応だという点がウリになっでいるらしい。CMは最後に2回コールナンバーを繰り返して終わった。
(きっと独身男性をターゲットにしてCMを送りつけてるんだろうな)
(こういうCMをかけて元が採れるってことはかなりの数の引きあいがあるってことだよね)
(バーリー先輩なんか喜んで飛び付きそうだな)
(それにしても、こんなに露骨で、映像コードに引っ掛からないんだろうか?)
(女性を冒涜するような表現ってイヤだな)
 同時にいくつかの事柄が脳裏に浮かんで消えた。
 僕だって男だ。こういうものに興味がないなんておキレイなことは言わないが、それでもあまりにも露骨で女性を蔑視するような表現に辟易してしまった。頭がクラクラして気分が悪くなってしまうほどの映像なんて……
 あれっ?ちょっと待って。
 頭がクラクラするのは露骨な映像のせいだろうか?
 途中で何かがフラッシュしたような……
 気分が悪くなったのは一種の警戒信号なのかもしれない。
 もしかしたら――
 気に掛かることがあって、僕は留守録を解除すると最初まで巻き戻した。
 そこから1コマずつコマ送りにして確認する。

(やっぱり!)
 当たってほしくない直感が当たってしまった。
 そこには――
 エロティシズム満点のコマの間に1コマだけ差し替えられた別のコマがあった。誰が見ても一目で破壊と暴力とを賞賛しているのだとわかる画面が――破壊と暴力とによって一切を塗り替えようとするきわめて強烈な画面が――『クーデターを呼びかけるアジテーション』という表現でさえ生易しいほどに人間社会全てを否定しつくすような画面。
 サブリミナル効果を狙ったそのコマは、普通一般的な視聴では挿入されていることに気付かない。そして、気付かないままに送り込まれた情報をキャッチしているのだ。
 通常では知覚できないほんの一瞬だけの1コマだが、稀に視覚でとらえることのできる人間も存在している。殊に熱心に観ている時などはその確率が上昇するといわれている。おそらく僕が一瞬フラッシュしたように感じたのは、無意識のうちに、挿入されたコマを見つけてしまったんだろう。
(バーリー先輩が苛立っているのもこれが原因なのでは?)
 この予想は九割がた当たっているだろうと思う。
 僕のところに送りつけられてきたCMでは30秒間に1コマだったが、同じ割合で挿入されているとすれば、30分番組では40回もアジテーションを植えつけられることになるのだ。無意識のうちに。
 先輩は職業意識が安全弁の役割を果たしているのか、苛立つ程度で済んでいるが、日頃から現在の状況に不満をもっている人や、もっと違う世界に行きたいと望んでいる人達は、簡単に感化されてしまうだろう。
 そしてその結果が傷害事件や殺人事件につながっているのではないかと思う。そうでなければ、事件を起こした当人にも、はっきりとした理由がわからないなどということにはならないだろう。
 僕は証拠品たる留守録用ディスクにライトプロテクトをかけた。

*       *       *

 翌日、僕の持ち込んだディスクを見たあとで、課長は渋い表情を浮かべていた。
 このあと、行なうことは決まっている。
 アジテーションを交えて情報を送り出した会社を摘発するのだ。破壊活動防止法違反の容疑で。
『アジテーションがなかったにしても摘発可能な内容だ』と少年課の課長が請け合ったから、青少年保護法も適用されるかもしれない。18歳未満の少年がそのコールを受ける可能性があったという点だ。
 この会社はご丁寧にもコールナンバーを2回繰り返しているから、番号からたどれば、所在地を確認するのはたやすい。
 もっとも、これはダミー会社で、本当に悪い奴は捜査の手の及ばない処でのうのうとしているのかもしれない。あるいは、CM製作を請け負った会社が勝手に1コマ差し替えたということもありえるのだが、とりあえず摘発できるところから着手するしかない。

「それじゃぁ、ここはナイルに任せるとして……」
 課長が人員の割り振りを指示しようとしていた時
「うっそー!課長、ここ、摘発するんですか?」
 いかにも情けなさそうなバーリー先輩の声が聞こえた。
「どうしたんだ、バーリー、今日は非番のはずだろう」
「かわい子ちゃんとデートだって言ってませんでした?振られちゃったんですか?」
 さまざま言いかけられる声を無視して先輩は
「俺も行きますよ」
「お前は行かなくていい」
 課長の返事は簡単だ。
「ここ、結構よかったんだけどな……」
 先輩は小さな声で未練たらしくつぶやいた。
 僕の予想はドンピシャリ当たっていたわけだ――バーリー先輩はいいお得意様だったっていうのは。
「硬いこと言いっこなしですよ、課長。摘発するなら、行かせてくださいよ、俺も」
 先輩は、なおも課長に食い下がった。
「まったくお前は……ディスクをポケットに入れたまま自宅に帰った、なんてコトにはならんだろうな」
 課長が先輩にクギを刺す。
「まったまたぁ、俺がそんなことするわけないでしょうが、信用してくださいよ」
「そこまで言うならわかった。お前もナイルと一緒に行ってこい」
 ここで課長は僕のほうに向き直って
「六道、お前は……同じ様な手口で悪質なアジを流しているところが他にもあるかもしれんから、そっちのほうを当たってくれ」
「当たるって……」
 目を見開いた僕に
「客を装って片っ端からコールしろ。勿論、全部録画するのも忘れるんじゃないぞ。後で解析班に回して分析してもらうんだからな」
「あっ、それ、俺がやります、俺、俺」
 僕が何も返事をしないうちにバーリー先輩が名乗りをあげた。
「バーリーはタメだ!」
 課長が厳しくきめつける。
「裏ドリーム・プレイングゲームの時のことを忘れたのか?とにかく、すぐに影響を受けてしまうんだからな。
 というわけで、これは六道の仕事だ、いいな」
『いいな』――表現上は一応確認のかたちをとっているが、それ以上の反論を許さないぞという課長の意思表示だ。

 仕方なく僕は自分のアパートに戻って仕事をすることになった。
 発信元が警察の電話になっていたのでは、相手は警戒して応答しないかもしれないし、応答したにしても当たり障りのないものを送ってくるに決まっている。相手に個人のオファーだと認識させるためにも自宅の電話からかける必要があるのだ。
(代われるものならバーリー先輩と代わってもらいたいよ)
 何度目かの思いを胸のなかに吐き出しながら僕は与えられた仕事をこなしていった。
 はた目には羨ましがられるかもしれないが、それは他人が思うほど楽しい作業ではなかった。
 コールをし、番組を選び、録画しながら違法なものが混ざっていないか確認する。実に単純といえばこのうえなく単純なことだが、画面のなかで展開しているのは、お世辞にも芸術的とは言えない代物が多い。
 人間というのは、一つの刺激に馴らされてしまうと、もう、それまでと同じ様な刺激では飽きたらなくなってしまう生き物で『もっと刺激的なものを』『もっとみだらなものを』とエスカレートしていくうちにエロティックな領域を踏み越えてグロテスクな領域へと移行してしまう。
 そんな人達の欲求をも満たすような番組だの極端なフェチズムを満足させるような番組だのを好むと好まざるに関わらず観ていなければならないとなるとちっとも楽しいどころの話じゃない。観ているのも苦行だと言いたい。
「ふん、結構なことだな」
 冷ややかな、難詰するような声が聞こえた――僕以外誰もいないはずの部屋のなかで。
 振り返らなくてもそこにいるのが誰なのかわかる。
 ジョーカーによく似た、それでいて逢う声音が、そこにいる人物を浮び上がらせる――S−Aだ。
 特捜司法官にとって、玄関のロックなんてものの役には立たない。だからどうやって入ったのかなんていう質問は無用だ。
 そして僕は知っている。こういう場面に来合わせたS−Aが、今の状況をジョーカーに歯に衣きせずに話してしまうということを。これは仕事なんだと説明してみても、そしてそのことを誰よりもS−A自身が知っていたとしてもジョーカーには『僕がアダルト番組を観ていた』という部分しか伝わらないということも。
「ジョーカーの反応が楽しみだ」
 意地悪く言い置いてS−Aは帰っていった。僕に一言の反論も許さずに。
「S−Aのいじわる〜!」
 S−Aは僕の今現在の仕事を知っていて、わざとやって釆たのだと確信した。彼はそういうヤツなのだ。僕に嫌がらせをするためになら月から地球にやって来ることなんかワケないんだから。そうでなきゃ、こんなにタイミングよく現われるはずもないし、一言だけ言い置いて帰ってしまうなんていうこともないはずなんだから。
「僕にも反論させてくれたっていいじゃないか!」
 誰もいなくなってしまった空間にむかって僕は叫んだ。
 叫んだからといって何かが起こるわけでもないけれど、叫ばずにはいられなかった。

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