玻璃色の…

 あなたは、人魚を見たことがありますか?
 人魚の話を聞いたことがありますか?
 
 それでは、人魚は本当にいると思いますか?

 昔、沖縄県がまだ琉球王国とよばれていたころ、付近の海にはたくさんの人魚がすんでいました。
 かれらは、このあたりにすむ魚と同じくらいの大きさでしたし、とても人間をおそれていましたから、人間の目にふれることはまずありませんでした。
 今もグラスボートなどで海の中を見ることができる沖縄の海は、その当時は、本当に澄みきっており、何十メートルも遠くまで見とおすことができました。

 人魚たちがすんでいる珊瑚礁のあたりでは、珊瑚の枝えだの間を抜けてきた光が、まるでレースのカーテンをすかしたような模様をおりなしていました。
 南国のまぶしい陽光も、それらのいくぶんかは波によって反射され、水底に届くころには、緩やかな光になっていました。 
 淡い光のなかで人魚たちは、ゆっくりと、ルリスズメやカクレクマノミ、ミスジリュウキュウスズメなどといっしょに泳ぎます。
 かれらが泳ぐときには、虹色のうろこがやわらかな光にてらされて、ゆわゆわとしたものがうかびあがるのが常でした。
 何かいつもと違う気配を感じた時には、一目散に珊瑚礁を目指します。
 すると、ゆわゆわとしたものは、そのスピードのせいで、一すじの帯ように見えるので、他の魚たちにも何かが近付きつつあると知れるのでした。

 人魚たちは、時には、しおだまりのほうまで出かけて、日光浴を楽しんだりもしました。むろん、日光浴といっても、陸にあがるわけではありません。ふだんは、淡い光のなかで生活している彼らですが、いつもより、強い光を浴びて身体を暖めるために日光浴に行きました。
 
 その名のとおり雪うさぎにも似た真っ白なウミウサギガイに寄りかかり、一日ゆっくりと過ごします。
 陸上では、ジリジリと照りつける光が肌を灼くような日でも、水温はさほどあがらず、あたたかさを楽しむことができました。
 さしも南国の太陽もその力をよわめる頃、かれらは、珊瑚礁の下にかえります。
 空が、茜色に染まり、やがて紫色のとばりがあたりを支配する頃には、今日一日の楽しかった事を話しているかもしれません。

 細い三日月が空にかかる時期には、結婚式が行なわれることもありました。
 結婚の儀式は、新月から数えて三日目の深夜、花婿が星砂を取りに行くことから始まります。
 浜までおもむき、星砂を持ち帰ることは、人魚にとっては、たやすいことではありません。時には、不運な事故で帰れぬものもありました。
 それでも、星砂を取りに行くのは、一つには、花婿となる人魚の勇気を試すため、そしてもう一つには、星砂を持ち帰ることが花嫁に対する愛の証でしたから、皆、いさんで出かけて行きました。
 無事に星砂を持ち帰った花婿は、夜が明けぬうちに花嫁の許に砂を届けます。
 次の日、花嫁になる人魚は、結婚式に着ける髪飾りと花婿のための額かざりを造るのに余念がありません。
 そして、新月から五日目の夜、長い髪を高く結いあげた花嫁は、星砂で作った髪飾りを着けます。
 その時、花嫁のほほは、きっとバラ色に輝いていることでしょう。
 一方、花婿のほうも、花嫁がこころをこめて編みあげた額かざりをきりりと締めて、誇らしい気持でいるにちがいありません。

 海の中の世界でも、毎日が平穏無事に過ぎてゆくだけではないというのは陸のうえと同じでした。
 嵐の季節には、波が高くなります。
 そうすると、海の中でも大きなうねりがおこります。
 太陽が雲に隠されてしまうせいで、海の中は暗くなってしまいます。
 様子をうかがいに出た者が高波にのみこまれ、岩場にたたきつけられることもありました。
 人魚たちは、なすすべもなく、それぞれの隠れ家のなかで身を寄せあって嵐の過ぎるのを待つしかありません。
 
 大きい魚に追われて逃げ惑ううちに、珊瑚礁から遠くはなれてしまい、戻れなくなってしまうものもおりました。
 小さな子どものうちは、大人の注意をよく守って珊瑚からはなれないようにしていましたし、日光浴に行くにも誰かと一緒に行きましたから、はぐれてしまうようなことはありませんが、少し大きくなって大人の言葉がうるさく感じられるような年ごろになると、冒険心やら反抗心やらに刺激されてしまうのでしょう。
 決して近付いてはならぬと言い聞かされていた場所に近付き、毒をもった貝に刺されてしまうこともありました。
 
 そのほかにもさまざまな事がおこりましたが、それでもやはり平和のうちに時が過ぎていたのだと思い知らされる事がおこるようになりました。
 一体、何が最初におこったことなのかよく分からないほどに、これまででは考えられなかったような事柄が、続けざまにおこってきたのです。
 
 最初は、やはり、黒真珠が少なくなってきたことだったのでしょう。
 黒真珠は、人魚にとっては、大切な薬の役目をはたしていました。
 虹色のうろこがひび割れたときには、真珠のなかにある小さな核をつぶして塗り込めばたちまちのうちにもとどおりになりました。白い肌に傷がついたときには、真珠貝の皮膜を薄くはいで、傷にはっておけばよかったのです。
 その大切な黒真珠の数が目に見えて少なくなり始め、だんだんと遠くのほうまで出かけて行かなくては手に入れることができなくなってきました。
 もともと、黒真珠を育む黒蝶貝は、人魚たちにとってはたいそう大きいと感じられる貝で、そのなかから黒真珠を取り出すのは並大抵のことではありませんでした。
 かれらのうちで、身体も大きく、力の強い若者が何人かで力をあわせ、やっとのことで手に入れていたものでした。
 ですから、黒真珠を取りに行くことのできるものは、英雄だと言ってもよかったでしょう。
 近くにあったときでさえ、困難な作業だったというのに、遠くまで出かけねばならなくなったのです。
 さらに大変だったのは、肌やうろこに傷を負った人魚たちの数が増えてきたことです。
 尖ったものに触れたわけでもないのに、いつの間にか、すりきずのようなものが身体中にできてヒリヒリと痛んだり、うろこの先端がギザギザになってしまったり……
 人魚たちには、何故こんなふうなことがおこるのか理解できませんでした。
 それでも、仲間の命を救うために、だれよりも速く泳げる者や力自慢の者たちが、遠くの海まで出かけては黒真珠を持ち帰りました。けれどもそんな懸命の努力にも、限りがありました。
 手当てのかいなく命を散らしてゆくものの数も少なくありません。
 異変はそれだけで終りはしませんでした。
 海の水から透明さが失われつつあるように感じ始めたのはそう遠い日のことではありません。
 いつの日か、ふと気づくと、それまではっきりと見えていたあたりがぽんやりと霞んでおり、それが一日でもとのようによく見えるようになることもあれば、数日続くような時もありました。
 そうするうちに、よく見えない日のほうが多くなりがちになり、いつしか見えないことが普通になってゆきます。 
 そしてまたある日、見えない範囲が広くなったように感じられ……
 珊瑚にも元気がなくなってきました。
 いいえ、それどころではありません。死に絶えてしまったものも多く見られます。
 人魚たちは、珊瑚に守られてでなければ、生きてゆくことはできません。 
 強く大きなヒレをもった魚たちなら、ここを離れて旅立ってゆくこともできることでしょう。でも人魚たちには、長時間泳ぎ続けるためのヒレもなければ、1時間に何ノットも流れる潮のなかで息を続けてゆくための呼吸器官も備わってはいないのです。
 この海を離れて遠くに旅立つことなどできません。
 ただできるのは祈ることだけなのです。

(お願いです。かりゆしの海を返してください)
 あなたの耳にも彼らの祈る声が届いているのではありませんか?
 

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