二十二世紀後半――
人々は「揺りかごから墓場に至るまで」市民コードによって管理されている。
とはいえ、長い市民コードは、覚えるのも使うのも難しいし、市民コードでは、親しみを表現できないせいで、昔ながらの姓名が日々の生活では使用されている。
もっとも、姓名といっても、旧日本国で使用されていたような姓と名前に二分されるようなものではなく、ミドルネームがくっついていたり、洗礼名がついていたりと、実に多様なものが一地域に混在しているわけだが。
姓名のほかに、家族内での愛称だの、恋人同士だけの呼び名だの、ニックネームだの、一人の人間にたくさんの名前が存在しているのも、昔と変わらない。
そして――
映像スクールの俳優科でも名前に関して、悲喜劇がおきていた。
新たな名前を許される者と、そうでない者とに分かれる時期が来たのだ。
映像スクールの俳優科というのは、当然のことながら、俳優を目指すもの達の学び舎だ。だが、そこを卒業したからといって、全員が俳優として歩いていけるわけではない。
むしろ、俳優として歩き始める者のほうが少ないかもしれない。
俳優という職業に対する情熱や、誰にも負けないだけの演劇論をもっていたとしても、望みどおりの道を進むことができるわけではない。
卒業前に行われるオーディションに合格し、どこかの芸能事務所に所属することが決まった者だけが、「俳優」という仕事のスタートラインに立つことができる。
そして、スタートラインに立つ者だけが「芸名」という新たな名前をつける権利を有する。
その新たな名前を許された者の中に秋津秀もいた。
容姿に恵まれている者、
絶対音感をもつ者、
たぐいない肉体美を誇る者、
さまざまな特技や個性の強い者たちが集っている中から次のステップに進む権利を得た者としては、秋津は決してお世辞にも非凡だとは見えなかった。
もちろん、彼がこの先、大化けすることを期待していた講師もいたことだろうが。
均整のとれた顔
魅惑の瞳
しなやかな肢体
それらは、秋津の美点ではあるが、際立ってとび抜けているというわけでもない。
もしかしたら、全体としてのバランスのよさ――肉体と精神のバランスのよさが、彼の一番の美点なのかもしれないが、精神面のバランスのよさというものは、誰の目にもみえるというわけにはいかないから、秋津のことをやっかんでいる者もいたかもしれない。
その当の秋津は
(どんな名前がいいかな)
方向転換を余儀なくされた(もしくは、他の学校で、あらためて俳優になるための勉強をする)者の心中を思い遣りながらも、嬉しさは隠せない。
なにしろ、彼もまだ十代半ばの少年でしかないのだから。
(どんな役にでも対応できる名前がいいよな)
この先、年齢を重ねていったときに、名乗るのが気恥ずかしいような名前は、やめておこうと思う。
役柄が固定されてしまうようなイメージ(たとえば時代劇向きの名前というものは、確実にある)でも困るだろう。彼は、どんな役柄でもこなせるような役者を目指しているのだから。たとえ今は、瞳が魅力的だといわれていても、それだけしかないのでは困る。演技力で人を惹きつけていけるだけの器をもちたいと思う。
迷った挙句にいくつかの候補を所属予定事務所に提出した。
この時点では、秋津は「芸名」というものは、それを使う自分のものだと考えていた。
いくつか提出した中から、事務所が選んでくれるか、もしくは、事務所側と相談のうえで、芸名が決まるのだと思っていた。
だが、現実は、そうではなかった。
秋津が考えて、候補として提出したものは、すべて事務所で却下されてしまったのだ。
事務所がこの先、秋津を売り出していこうとしている方向性と、秋津本人が考える自分の方向性とでは、隔たりがあるらしかった。
自分自身の方向性というものは、本人が一番よくわかっているのではないか、と秋津は思うのだが、そういうものでもないらしい。
本人よりもむしろ、周囲にいるほうがよくわかるものだと言われてしまえば、秋津には反論ができなかった。まだまだ、ちゃんと自分を把握していると言い切るだけのものがなかったから。
それにどうやら、「芸名」というのは、個人のものではないらしい。
個人のものであると同時に、所属事務所の商品であるらしいということがわかった。
そして、彼は、本名のまま仕事を始めることになる。
のちに、もっとも有名でありながら、もっとも無名の(名前を公表できない)役者になるなどと、この時の彼は知らない。
特捜司法局から銀色の人工眼球を託される存在になることも、まだ知らない。
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