Fortress

 ある日、僕のもとに1枚のディスクが届けられた。それは、キャルの名で発信されており、宛名は僕・六道リィンとバーリー先輩の連名になっていた。
 飛騨室長宛ではないのがキャルらしいと言えるのかもしれない。キャルは本気で彼を愛していたから……同じ未来を共有することができないことを嘆くほどに。だから、僕たち二人にあててこれを送ってきたのだろう。
 生前に作られたそれは、死後一定の期間をおいて僕たちのもとに届くようにプログラムされていた。
 キャルは、もうどのくらい前から自分の死を予感していたのだろう。何も予感していなければ、こういうものを作る暇さえなかったはずだから。自分自身の死を見つめながら生きるというのがどのようなものなのか、僕には想像もつかないけれど、そうして生きるのは精神的に辛い日々だったろう。
 僕の知っているキャルは、明るくてたくましい、本当に刑事になるために生まれてきたような女性だった。いつも、はつらつと仕事をしている姿は輝いていた。その姿が偽りのものだったとは今も信じられない。キャルは、ただの刑事としてだけ生きて行きたいと願っていたのだと今も僕は信じている。
 優秀なスパイでありえたが故に優秀な刑事でもあったのだとキャルは言ったが、それは本心ではなかったと信じていたい。僕の感情をただの「感傷」と言われるならそれでもいい。今は、キャルとして存在していた人のことを覚えていたい。
「どうした、リィン?見ないのか?」
 バーリー先輩の言葉に促されて僕はディスクをセットした。

*     *     *

――六道ちゃん、バーリー、毎日どうしてる?相変わらず事件に追いまわされる日が続いているんでしょうね。
 このディスクが二人の許に届く時には、私はもう、この世には存在しない人間になっているわ。もう、わかっているわよね。私が『赤のキャラバン』のスパイだったっていうことは……その事実は二人を驚かせてしまったかしら?六道ちゃんには、かなりなショックだったかもしれないわね。
「キャルは刑事に向いてますよ」と言ってくれた六道ちゃんの言葉は嬉しかった。自分でもそう思っていたもの……もっと違った生き方ができればよかったのかもしれない。キャラバンの中だけしか知らなければ、こんなディスクを作ることもなかっただろうし、ね。
 未練……かな。
 人が私たちのことを何と呼んでいるか、知らないわけじゃなかった。テロリスト、殺戮者、破壊者、そう呼ばれているのは知っていた。でも、それが私たちにとっての正義だった。恒久的な平和を望んでいたのよ。そのことに嘘はない。
 ねえ、バーリー、六道ちゃん、本当の平和って何なのかしらね。人類がこの地上に現れてから、かなりの年月が過ぎているわ。一応まがりなりにも文明と呼ばれるものを持つようになってからでも随分と時は流れた。そして、人類は宇宙までもその手にしたわ。太陽系に散らばる人類たち。でも、そこに本当の平和・まったく争いのない時代は、いったい何年あったかしら?こんなにも長い人間の歴史なのに、まったく戦争のなかった時代……これは局地的なものも含めてだけど……わずかに数十年しかないのよ。どうしてだと思う?人間はそのままにしておけば、常に争うようにできているのではないかしら?私はそう教えられてきた。人は恐怖と力とで抑えて行くことによってしか平和を手に入れることはできないんだって……

*     *     *

「違う!」
 僕は、思わず叫んでいた。叫ばずにはいられなかった。僕がここで叫んだって何の足しにもなりはしない。それは。わかっている。それでも叫ばずにはいられなかった。
 突然叫び声をあげてしまった僕をバーリー先輩は呆れ顔で眺めている。それはそうだろう。ディスクに向かって叫んだって届きはしないのだから。それでも、僕をたしなめもしなかったのは、先輩も同じことを考えているんだと思いたい。

 平和は他から与えられるものではなく、勝ち取っていかなければならないものだというのは、僕もわかる。だけど、それだけじゃいけないんだ。勝ち取るのは、どこか他のところから奪うという意味ではないんだ。そんなものは平和でもなんでもありはしない。それは、ただの簒奪でしかないんだ。誰かを犠牲にしたうえに成り立つ平和などありはしない。誰かを殺しての平和などありはしない。僕たちが勝ち取るべきなのは、自身の弱い心からなんだ。
 平和のための戦争、正義のための戦争なんていうのはみんな嘘だ。エゴイズムを口当たりのいい言葉に置き換えたに過ぎない。戦争のなかからは、争いや憎しみしか生まれてこない。平和は平和のなかにこそ存在するものなんだ。
 たしかに、これまでの歴史を見れば、真の平和があった時代というのは本当に短い。人間の歴史と比べてみれば、ほんの瞬きの間くらしかないというのは事実だ。でも、だからといって恐怖と力で支配していいという理由にはならないんだ。どれほどに短い期間でしかなくても、真に平和な時代があったのなら、この先、それが続かないなんて誰にも言えやしないんだもの。これまでにもほんのわずかでもあったからこそ、今度はそれを恒久的なものにして行くための努力を惜しんではいけないんだ。
 僕たちは、自分の心のなかに平和の砦を築いていかなくちゃならないんだ。揺るぎない平和の砦を。
 だって、人は誰でも幸せになるために生まれてきたんだから。生きて生きてしあわせになるために生まれてきてんだから。
 ねえ、キャル、知っていた?人間と生まれてくるのがどれほど大変だか……この地球上にどれほどの生命があると思う?人間、動物、植物、昆虫、そして目には見えないようなプランクトンや微生物たち。みんな命をもっている。そのなかで人間の数は本当に少ないよ。これほどに増えてしまった人間だけど、それでも全ての命の総数から比べれば本当に少ないよ。
 せっかく感情をもち、いくばくかの理性をもって生まれてきた僕たちなんだもの。みんな幸せになるために生まれてきたんだって僕は思う。
 こんなふうに得難い命を得てこの世に生まれてきたからには、それを吹き消すような真似をしてはいけないんだ。何かによって支配し、平和を保とうとしてもまたいつか更に大きな力によって覆されてゆくことになってしまう……
 僕のこういう考えはおかしいかな?
 僕の考えは甘いかな?
 僕もはじめからこんなふうに考えていたわけじゃないんだ。こんなふうに考えるようになったのはジョーカーと知り合ってからなんだ。
 ジョーカーと出会い、好きになった。合成人間であることがわかったあとも好きだった。特捜司法官であることも何もかもすべてを含めてジョーカーという存在を好きになってしまってから、いろいろ考えるようになったんだ。
 合成であろうとなかろうと人間だということに変わりはないのにってね。普通の人間と合成人間とを区別してはいけないんだって。
 だって、みんな命があるんだもの。生きているんだもの。心があるもの……しあわせになりたいって望むのはみんな一緒なんだもの……。
 合成人間だから人間に奉仕するべきだなんて誰が決めたんだろう。僕は、そんなふうに決めた人間を許さない。どうしてそんなに思い上がっていることができるんだろう。それではまるで、前近代的な奴隷制度と何ほどの違いもないじゃないか。あの頃は、肌の色によって人間を区別していた。今は、合成かそうでないかで区別しているに過ぎない。そんなことが許されていいはずないんだ。誰かの奉仕のうえに成り立つ平和も幸福もあってはならない。本当に必要なのは、まったく差別のない世界、誰もが等しく権利を持ち(むろん等しく義務も負い)幸せに暮らす世界なんだ。合成人間だからと蔑む者もいない、人と生まれたからといってそれを特権のようには考えない、まったく同じ『この世に生きるもの』として存在する。それが当たり前の世界……

 僕は自分では気付いていなかったけれど、いつの間にか涙くんでいたようだ。
 バーリー先輩が、僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。
 僕は知ってる――先輩のこういうしぐさは、人を慰める時のものだって……。
 いつしか、キャルのディスクは、最初まで戻っていた。
 僕が自分の考えのなかに沈んでしまっていた間、先輩は続きを見ていたのだろうか。それとも先輩も自分の考えのなかに沈んでいたのだろうか。バーリー先輩の表情からは窺い知ることはできない。先輩は僕のようには感情をあらわさないから。
「ようし、今夜は飲み明かそうぜ、リィン」
 明るい言葉の裏に揺れる感情がにじんでいた。

indexへ