ET MAINTENANT 2


「ジェンクスに招待状を出しておいたからね」
 ある日、カルストがC-Uに告げた。
 カルストのいう招待状がどのようなものか、C-Uは知らない。知る必要もない。
 彼女は、指示に従って動いていればいいのだ。
 ポッドから出て以来、ずっとそうしてきた。
 そうしていれば、何も間違いは起こらなかった。
 言われるとおりに行動していれば、褒めてくれる。
 C-Uにとって、カルストの言葉は絶対的なものだった。
 カルストが招待状を出した、と口にするからには、近日中に飛騨ジェンクスを自分の眼で見ることができるだろうと予測できる。
 自分の前に飛騨ジェンクスが、その姿を現す――それは、とてつもなく楽しいことのように感じる。
 ジェンクスの前に立つ時が待ち遠しい。
(早く来ればいいのに)
 C-Uは、楽しい行事を心待ちにする子供のように、ジェンクスが現れるのを待っていた。

*     *     *

 そして、その日がついにやってきた。
 赤のキャラバンのアジトへと乗り込んできた飛騨ジェンクスを
「ようこそ」
 音源を特定できない声が出迎えた。
「愛人がお待ちかねだ」
 次の瞬間、部屋の床が切り取られたかのように、真四角の空間が開いた。
 その空間から大型の器具がせりあがる。
 器具の上昇がおわると、床はまた元の状態に戻った。
 ジェンクスがリィンを『マイ・ハニー』と呼んだことの結果が眼前にある。手術台のような簡素な器具に両手両足を縛められ、猿轡で発声の自由さえ奪われた六道リィンというかたちで。
「さて、せっかくの恋人同士の再会に無粋な真似はしたくないんだけど……君達を自由にしてあげるわけにもいかないんだ」
 声が室内に反響した。
 さして大きくもない声だが、部屋のつくりのせいなのか、響いて聞こえる。
 部屋の中の一部始終が、どこか離れた場所からモニタリングされている、とジェンクスにはわかる。
 手の届かぬ高みから神の立場を気取った者が、彼らの行動をチェックしている。
「C-U、お前の出番だ。楽しくあそんでおいで」
 声とともに、部屋の一角に亀裂が広がって、人ひとりぶんくらいの隙間になり、そこから筋骨隆々たる合成人間が姿をあらわした。
 合成人間だと一目でわかる――通常の人間ではありえない骨格と筋肉のバランス。左右均等になるように計算しつくされた肉体は生身の人間のもちえないものだ。人は、どれほど注意深く左右のバランスをとっても、均等にはなりえない。その左右の微妙な歪みこそが人を人間らしくしている。
(C-U?)
 反射的に合成人間を見たジェンクスは、自分の視線が、がっちりとC-Uに絡めとられたのを感じた。
 瞬間、合成人間の表情が輝いた。
 頬が薄く染まるのもジェンクスの眼は見逃さなかった。
 彼は内心眉をひそめた。
 見なかったことにしたい、と思う。
 思うが、なかったことにはできない。
 なんだか苦いものを飲み込んだような気分になる。
maintenant 仰向けに縛り付けられた状態のリィンのほうが、合成人間のほうを見ることができないぶん、幸せなのかもしれない。
 むろん、ジェンクスの内心の動きなど表面にはあらわれない。
 無表情のままで視線だけをリィンに戻す。
 ジェンクスが視線を戻しても、合成人間の視線は自分の上に貼りついたままだというのをいやというほどに感じる。
 リィンの唯一自由を許された眸は「室長!」と訴えている。
 その訴えは、一刻も早く自分を助けてほしいという意味合いではないとジェンクスは判断した。
 六道リィンは、己を第一義に考えるような人間ではない。そのことは、部下としてのリィンを見ていたからわかる。
 リィンが彼の部下だったのは短い期間だったが、それくらいのことも判らないようでは、とうていシャーロキアンなどというあだ名がつくはずもない。
 リィンのほうも、ジェンクスが自分を助けるためにこの場に乗り込んできたのだなどと自惚れたりはしない。
 リィンは飛騨ジェンクスという人物のひととなりを知っている。全てを把握できているはずもないが、幾分かは知っている。
 助けにきたのではなく、ジェンクスの個人的判断によってこの場に現れたのだと知っている。
 赤のキャラバンは、リィンをジェンクスに対する切り札(もしくは招待状)と見なしているが、実のところそのようなものでありはしない、ということは彼自身が一番よく知っている。
 ジェンクスの『マイ・ハニー』という言動に赤のキャラバンが惑わされたのだと知っている。
 リィンの部屋に隠しカメラがセットされていることを承知で、それを逆に利用したのだ。リィンがジェンクスの恋人だと思い込ませるために。
 カメラのセット位置がもう少し違った場所だったなら、また違った展開になっただろう――カメラはリビングが映るようにセットされていた。それゆえ、ジェンクスはリィンを「マイ・ハニー」と呼び、身の回りの世話をさせるだけで済んだ。もしも、カメラがベッドを映し出す場所にセットされていたなら、それだけでは済まなかったはずだ。
 ジェンクスとリィンの真の関係を把握するためには、ベッドサイドにカメラを置くべきだったのだ。そこでなら真に愛人関係にあるかどうかを確認できたのだ。
 だが、赤のキャラバンはそうしなかった。
 ジェンクスの言動だけで関係を判断してしまった。
 もしも、本当にベッドサイドにカメラがあったなら、ジェンクスは体の自由を奪うような薬を使ってリィンを身動きできない状態にしておいてから、いかにもエッチをしていますといった様子を演じてみせたことだろうが。
 ともあれ、赤のキャラバンは判断を誤ったのだ。
 赤のキャラバンにとっては、リィンはジェンクスに対する餌の役目を果たせるはずだった。『愛人』を餌としてちらつかせれば、それが罠だとわかっていてもジェンクスはやってくるだろう。やってこざるを得まい。
 うまくすればジェンクスの頭脳を手に入れることができるかもしれない、という計算だ。
 ジェンクスを仲間にひきいれることができるなら、それでよし。ひきいれることができないなら、餌でおびき出しておいて身体の不要部分を廃棄する。ジェンクスの価値は彼の頭脳にあるのだから、肉体が滅んでも差し支えない。というよりは、頭脳さえ生かし続けることができるなら――彼の脳から必要なデータを採取できるなら、肉体などないほうが都合がよい。脳は健康を保ったままで肉体の自由を奪うには四肢に至る神経を損ねればいい。
 最終的にジェンクスから何も引き出すことができないなら、この世から消えてもらう。もちろん、必要事項をすべて引き出してしまった場合も同様だ。
 その目的のために、C-Uをポッドから出したあとも教育と訓練を続けてきた。
 赤のキャラバンは合成人間を「人間」とは見なしていない。
 ゆえに合成人間の心など顧みない。
 心があるなどと考えもしない。
 一方――
 C-Uにとっては、リィンは憎い恋敵だ。
 いや、最初は、自分の感情に気付いてはいなかった。
 ジェンクスに対する不思議な感覚があるのは、わかったが、それが世間で恋と呼ばれる感情だなどと気付いてはいなかった。
 ただ、ターゲットであるとカルストから示された飛騨ジェンクスよりも六道リィンを先に始末したいと感じる。他のどんな人間よりも六道リィンが邪魔だと感じる。リィンの存在はC-Uに不快感と不安感とを与える。そのような存在を許しておいてはいけない。
 その感情が何であるのか、彼女はわかってはいなかった。名づけるすべを持たなかった。しかしながら、それは紛れもない嫉妬である。
 六道リィンは彼女にとって恋敵だったのだ。
 ジェンクスとリィンが本当は恋人でもなんでもないことなどC-Uは知らない。
 たとえ、知っていたとしても、容赦しない。ジェンクスと親しく接している、その事実だけで抹殺に値する。
 そうであるのに、いまだ六道リィンを抹殺する許可は与えられない。現時点でも、彼女の第一ターゲットは飛騨ジェンクスと定められたままなのだ。
 飛騨ジェンクスを始末したいなどとは感じないのだが、それを言葉にすることは許されていない。
 それでも「楽しくあそんでおいで」と言われたからには、この部屋の中では自分の好きにしていいということなんだろう、とC-Uは考える。
 ジェンクスを始末するについて、手法は指示されていない。
 与えられた指示は『殺さぬように、生かさぬように』というものである。抵抗できないようにするのはいいが、殺してしまってはいけない。少なくともジェンクスから必要な情報を引き出すまでは、死んでもらっては困る。肉体は損傷してもいいが、脳は傷つけてはいけない。
 ジェンクスの抵抗を無力化するために人質として愛人も拉致してきているのだ。
 すべての情報を引き出した後は(あるいは、どうやっても情報を引き出すことができない時も)ジェンクスを抹殺する。
 敵にまわすとやっかいなことこのうえない人物を生かしておいては後々の禍根になる。危険性を排除しておくことは大切なことである。
 

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