METAL BLUE + METAL RED (1)

 小笠原諸島は三十あまりの島々で構成されており、亜熱帯から熱帯気候に属している。年間の平均気温は22度。雨も多く、バナナ、パパイア、マンゴーなどの観光農園のほか漁業にも適している。
 かつて乱開発によって絶滅寸前にまで追い込まれた動植物も、合成生物研究の第一人者だった(今は亡き)ドクター・ヤシマのプロジェクトによってよみがえり、二十世紀半ばの姿を取り戻した。
 今は、緑豊かな島になっている。 
 これらの島々は、目的によって三つのブロックに区分されている。
 ニュー・トーキョーに一番近いムコジマ列島はジュニア・スクールに通う子供達のための研修施設になっている。日本州の子供達は一定期間をこの島で過ごし、体験学習を通して「労働」とは何か、ということを学ぶ。(かく言う僕・六道リィンも卒業前に、ここで研修をしたうちの一人だ)
 中央に位置するチチジマ列島には、故ドクター・ヤシマの名を冠したヤシマ合成生物研究所があり、すでに絶滅してしまった生物の復活を目指して、日夜研究が続けられている。その研究成果である珍しい植物群も保護シールドに覆われたドームの中に限って公開されている。
 ニュー・トーキョーから一番遠い場所に位置するハハジマ列島は、マリン・シティの愛称で広く親しまれている。
 マリン・シティを構成する島々は、一つ一つがそれぞれテーマをもっており、19世紀のヨーロッパの港町を復元したものもあれば、21世紀初頭の日本の漁村をイメージして作られたものもある。
 スポーツ・フィッシングを楽しみたい人には、養殖漁業によって2メートルから3メートルに育てられた大物を釣り上げる豪快なフィッシング・ゾーンが用意されている。
 家族づれには、カプセル型のポッドで海中散歩を楽しむコースに人気がある。
 それらの観光客のためのホテルも、それぞれの島のテーマにそって工夫を凝らしていたから、ちょっとしたタイム・トラベル気分も楽しみの一つだ。
 そんなのどかなはずの島・リフレッシュをはかるための島で僕は――僕は神経を磨り減らしている。

*          *          *

 小笠原諸島で、惑星間経団連の会合が行なわれるというニュースを聞いたのは三か月前のことだった。その時にはそれが直接自分に関わりがあるとは思わなかった。警備には市警のメンバーが携わることになっていたし、各地から応援メンバーが送られてくるはずだったから、期間中チェックが厳しくなることだけ覚悟しておけばいいと考えていた。それに各地から警官が送り込まれてくれば、犯罪抑止効果があるだろうから、むしろ少しは暇になるのではないかと思っていた。
 そして実際そうだったのだ――二週間前、海王寺弓人さんの第一秘書・野々宮ポーラさんから電話がかかってくるまでは。(おそらくは、今も州警にのこっているバーリー先輩や村上姉妹はちょっとした骨休めができているに違いない)
 課長あてに電話をかけてきたポーラさんは
『ボスの身辺警護に六道リインをつけてほしい』と僕を名指ししたのだ。
『海王寺弓人本人がそれを希望している』という理由をつけて。
 それを聞いた課長は一も二もなく0・Kした。惑星間経周連議長でもある弓人さんの依頼を断わるはずもない。
 僕の意向を聞きもせずに、さっさと0・Kしてから、僕に向かっては
『命令だ』の一言で片付けた。
 僕としても断わるべき理由もなかったし、子供の頃に訪れたことのある島は、懐かしい場所の一つだったから、もう一度行くのも悪くないと思った。
 だが、それは、認識が甘かったのだ。
 こういう大掛かりな会合の警備というのがいかに大変なものか、というのを知ったのは島に来てからだった。
 
 惑星間経団連の会合は、ある意味では四大惑星の代表者によるサミットよりも大きな意味をもつ。その会場に選ばれるというのは名誉なことでもあるが、参加者に万一のことがあつては取り返しがつかないため、警備は厳重のうえにも厳重を重ねる。
 子供達が参加者に対して失礼なことをしてはいけないという理由から研修施設は閉鎖されており、管理人だけが所在なげにぼんやりと座っていた。
 爆発物を仕掛けられては困るという理由から、トラッシュ・ボックスも撤去されていた。(これには美観を損ねるという理由もあった)
 そのほか考えうる全ての場合に備えて24時間体制で警備が続けられている。
 そんななか、僕は弓人さんにぴったり張り付いて警護していなくてはならない。もちろん、弓人さんと行動を共にするのは、これがはじめてではないけれど、これまでにもまして気骨の折れる仕事になっている。
 それというのも、弓人さんは、じっと一箇所に落ち着いているということがなくて、一日中・本当に一日中動き回っているからだ。
 赤のキャラバンの標的――弓人さんだけでなく海王寺コンツェルンそのものが標的になっているわけだが、そのなかでもコンツェルンを代表する弓人さんは最大の標的――になっているというのに。
 もちろん、弓人さんは遊び回っているわけではない。
 さまざまな施設を視察したり、資料を調べたりするために、点在している島を訪れているわけだけれど、僕の目から見れば(何も今この時期に訪れなくてもいいのではないか……)と思うようなところも視察先に含まれていたりするのだ。
 もっとも、それは経済の素人としての僕の見方で、経団連の会長としての眼をもってすれば、もっと違うものが見えているのかもしれないのだけれど。
 ともあれ、そういうわけで僕は、精力的に動き回る弓人さんのうしろをついて歩くだけで、精神的にも肉体的にもくたびれ果てている。特別な健康法を教えてもらわなくてはやっていけないほどに。
「六道君、どうかしたのかね?」
 弓人さんの問いかけに僕は我に返った。
 今日の三番目の訪問先はヤシマ合成生物研究所だったのだが、僕は視察について歩きながら、半分意識を失ってしまっていたらしい。(ありていに言えば居眠りをしていたということだ。歩きながらでも眠れるなんて、とても人に言えたものじゃない)
「いいえ、何でもありません」
 答えながらも(これは、よほどしっかりと意識を保っていないと危ないぞ)と自分自身に言い聞かせた。
「それならいいが……心ここにあらず、といったふうだったよ。この幻想的な光景を誰かに見せてあげたいと考えていたんじゃないのかね?」
「そんなんじゃありませんって」
 確かに、赤と青の発光ダイオードの下で育っている植物群は、幻想美にあふれていたが、その美しさを味わうよりも疲労の方が重くのしかかっていたのだ。
 そして弓人さんに言われてはじめて、これをジョーカーと一緒に眺めることができたら、どんなにか素敵だろうと思った。
 月の特捜司法局には鳴木沢博士の研究施設が残っているから、博士の研究成果は今も生き続けているのだろうけれど、地球にも種の保存のために努力している場所もあることを見てほしかった。そしてそれがドクター・ヤシマの残した施設であることも。
 イリオモテ島にいた美しくてしなやかな(それゆえに不幸でさえあった)金色の人魚のためにもドクター・ヤシマの功績を見てもらいたかった。
「今日の視察はここまでにしよう。野々宮くん、午後の予定はキャンセルしてくれるかな?」
 突然の弓人さんの言葉にも
「はい、ボス」
 ポーラさんはキャンセルの理由を尋ねることなしに即答した。
「さて、六道くん」と僕の方に向き直り
「食事を終えたら、私のプライベート・ゾーンのほうに来るように」
「はい」
 僕は力なく答えた。
 おそらくは、職務怠慢だとのお小言をちょうだいすることになるのだろうと思う。 

*        *        *

 現在、弓人さんがプライベート・ゾーンとして使っている部屋には25メートル・プールとジャグジーが設置されている。
 僕がプライベート・ゾーンに到着した時、弓人さんはジャグジーの中で手足を伸ばしていた。
「ボスがお待ちかねでしたわよ。お話は六道さんが直接うかがって下さいね。私はこれで失礼させて頂きますわ。今日の午後は私も休暇をいただきましたの」
 ポーラさんはさらりと言うと部屋を出ていった。
「六道くん、どうしてここに呼ばれたかはわかっているだろうね」
 弓人さんの言葉が胸に突き刺さる。
 警備のプロとしては――弓人さんから指名されたプロならば、いかにくたびれていようとも意識を手放すことなど許されはしない。すべての予定をこなして警備を終えるまでは。
「はい、申し訳ありませんでした」
 頭を下げた僕を弓人さんが手招きする。
「君も一緒にどうかね?かなり疲れがたまっているんだろう」
「いえ、僕は……」
 口ごもる僕の姿に弓人さんは声を立てて笑った。
 その笑い声のトーンが少し上がり、女性のものに変わる。
 僕の好きなジョーカーの声にとてもよく似た……。
 え?ジョーカー?
 ジョーカーだった。そこにいるのはジョーカーだった――僕の愛しい女性型のジョーカーがここにいる――僕の目の前に。
「リィン?怒ってます?」
 ジョーカーが少し首をかしげるようにして尋ねた。
 僕は急いで首を横に振る。
 何があったって、僕はジョーカーにはかなわない。ジョーカーに対して怒りを持続することなんてできやしない。その姿を一目見た時から、ジョーカーがこの場にいるという、そのことだけで嬉しくて心が躍るのだから。
「ずっとジョーカーだった?弓人さんがジョーカー?」
 僕の日本語は、すでに文法が怪しくなっている。
 それでもいいじゃないか。この気持ちが本物なんだから。
「ごめんなさい」
 小さな子供のように素直な言い方でジョーカーが謝った。
「謝ることなんかない。任務だったんだろう?」
 僕にはわかっている。これがジョーカーの任務だったのだということは。おそらくは、赤のキャラバンの目を引きつけておくために、あちこち不必要なところまで視察に行っていたのだということも。そしてその結果として、僕がくたびれ果てたとしても、それはそれで仕方のないことだったのだ。
 それに、人間というのは現金なもので、さんざん僕を引っ張り回していたのがジョーカーだったということがわかった瞬間、これまでの疲労はあらかた消え去っていた。
「少し、わがままもしてしまいましたけれどね。リィンと一緒にいたくて…課長さんにお願いして警備に釆てもらいましたし……」
「いいよ、そんなことは。実際にあれは弓人さん以外の誰でもなかったわけだし、会議になれば本人が来るんだろう?」
「それはそうです。明日には本物の海王寺弓人氏が到着する手はずになっています。だからこそ、今日の午後は、こうしていられるんです」
 その時、ふと僕の心に疑問が浮かんだ。
 テロの恐れがあったからこそ、ジョーカーが弓人さんになりすましていたのだろう。だが、僕が警備についてから一度もそんな場面に遭遇したことはない。さっき僕は簡単に赤のキャラバンの目を引きつけておくためだと考えてしまったけれど、それ以外にも何かあるのかもしれない。
「何だかまだ釈然としないという顔ですね」
「……」
 ゆっくりと僕の頭のなかで形を取り始めたもの――小笠原で会議が行なわれるというのは表面的なもので、真に必要な事柄はどこか別の場所ですでに行なわれている、あるいは現在行なわれつつあるのではないか――ということ。会議は一種のデモンストレーションではないかということ。
「あまり勘ぐりすぎないほうがいいですよ」
 言うとジョーカーは静かに目を閉じた。
 僕はそっとキスをした。
 もう、これ以上この話題に触れてはいけないのだということがわかっていた。
(もしかしたら、S-Aあたりが本物の弓人さんのところに派遣されているのかもしれないな)
 考えまいとするけれど、浮かび上がる思いを閉じ込められない。
 そんな僕に
「リィンは、この会議が終わるまでは休暇もないんですよね?私はこの後しばらくオフになってるんですよ。だからね……」
 ジョーカーがそっとささやいたのは、会議が終わるまでマリン・シティで待っているから、一緒にリゾートを楽しもうというお誘い。
「必ず有給休暇を取るから」
 僕は固く約束した。

《METAL BLUE + METAL RED (2) に続く》

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