三年坂(2)

 その日、部屋に帰るとネットの端末に「メールあり」を示す緑色のランプが点っていた。
 発信場所の表示は月を表わす『L』になっている。
(もしかしたら、ジョーカーかも……)
 あまり過度な期待はかえって失望を大きくするだけだと知ってはいるけれど、やはり期待してしまう。実のところジョーカーに「さよなら」を言われてから今日まで一行のメールも届いてはいないのだけれど……。
 僕は急いでメールを開いた。
【六道リィンに告ぐ】
 僕宛のメールだから、名前が出てくるのは当然のことだが、なんだか嫌な予感がする。このまま読まずに閉じてしまえばいいのかもしれない。でも、読まずにおくには怖すぎる――知らずに過ごしてしまってはいけない事柄が書かれているような気がする。
 僕は小さなトゲが喉にささっているような気分のまま次の行に進んだ。
【これは、虚偽でもなければ、脅迫でもない。純粋に君の身を案じるが故の警告である】
 メールは、更に、きょう僕の身に起こったこと(つまり派手に転んでしまったこと)について、現場に居合わせた人間でなければ知りえないような細々とした事柄を少し古めかしくて居丈高な表現で綴っている。そして、その時、一瞬心をよぎった疑問に関しても述べている――三年坂という名前がいかにして付いたのかを。
【この坂で転ぶと3年以内に死亡する、という伝説の故に三年坂と呼ばれている】
(3年以内に死亡?!)
 冗談じゃない!たかだかこんなことで寿命を区切られてはたまらない。
 僕は笑い飛ばそうとしたけれど、こころなしか肘と膝の傷の痛みが増したような感じがする。
(いけない。これじゃ自己暗示にかかってしまう)
 こんなことで自己暗示にかかっていては、メールの送り主の思う壺だ。もう、ここでメールを閉じてしまわなければいけない。理性は僕にこれ以上読まないようにと命じるのだが、目は次の行・次の行へと進んでしまう。
【400年以上昔・江戸時代の記録によれば――】
 メールの送り主は、日本がまだ1つの国だった頃の事例から長々と書き連ねた後に、1つのトリッキィな話を紹介していた。
 曰く――
 江戸時代も末の頃、商家の隠居、久左衛門がこの坂で転んだ。彼はひどく縁起をかつぐ人物で、青い顔をして帰ってくるなり『ああ、あと3年の命…』と布団をかぶって寝込んでしまった。家人たちがそれは迷信だと慰めても聞き入れない。そこへ幼馴染の弥蔵老人がやってきて、『それなら、あと10回ほど転んでくればいい』と言う。『1回転んで3年の命なら、2回転べば6年、3回転べば9年と死期は延びていくはずだから』と。これを聞いた久左衛門はさっそく起きだして三年坂へ向かったという――何度も転ぶために。
【君にも10回ほど転ぶことをお薦めする】
 メールはそこで終わっていた。
(そう……か)
 メールの内容全てについて納得したとは言いがたい。それでも「三年坂」の名の由来については、その通りだったのだと思う。遠い過去に何件かの不幸な事故が重なって、言い伝えとなり、戒めの意味をこめて地名になったのだろう。だからこそ、今日まで地名変更もされずに何百年も続いているのだと思う。
(いくら過去にいくつかの事例があったにしても……)
 22世紀も末になろうというこの時代、科学的根拠のないものに囚われるなんて馬鹿げている。
 そう思う端から
(今もなお科学では説明のつかない事柄も確かに存在しているんだよな)
 少しでも気にかかる事があるのなら、そして、それを解決する方途が示されているのなら、素直に従っておいたほうがいいのかもしれないと感じる。
 こんなふうに考えてしまうのは、そばにジョーカーがいない寂しさのせいなのかもしれない。
(とりあえず三年坂まで出かけてみようかな)
 いかに史跡公園は1日中人通りがあるとはいっても、夜遅い時間になれば三年坂あたりの人影は途絶えるだろう。それに、僕はただ出かけてみるだけで、転んでみるというわけじゃないんだし……。
 誰にともなく言い訳気分になっている自分に気づく。
 なんだか、こうした心の動きもメールの送り主の意図するところではないか、とも思うけれど、この際、細かいことは考えないようにしよう。本当に僕のことを心配してメールを送ってくれたのかもしれないんだから。それに、昼間たまたま現場に居合わせただけの人なら、今から僕が出かけたって出会うはずもないんだし。

【三年坂(3)に続く】

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