警察に戻った僕を待っていたのは叱責だった。
犯人を逃がしてしまったからには、それは覚悟のうえだった。
「それじゃあ、エアバイクに乗っていた男については、まったくわからないというんだね、六道リィン」
フルネームで僕を呼ぶことで課長は苛立ちを表した。
課長が苛立っているのも無理はない。麻薬の取引犯人を取り逃したうえに、モンタージュの作成に非協力的ときては。
僕は、唯一の目撃者として犯人のモンタージュを作成するように言われたのだが、S−Aと秋津さんを犯人として告発したくはなかった。その気になれば、このうえなく正確なモンタージュを作るどころか犯人の名前を告げることも可能だが、そうしたくはない。彼らの行動には何か深い訳があるのだと思いたい。こんなふうに考えているということをS−Aが知っても「甘いんだよ」とせせら笑われるだけなのかもしれないが……。
結局、僕は、ヘルメットを着けていた男についてはまったくわからないのと同然だとしてモンタージュを拒否したし、S−Aについては似ても似つかぬものを作った。バーリー先輩も後姿は目撃しているから髪の色と長さはごまかすことができないが、それ以外の部分はまったく違っている。
僕は彼らを信じていたい。それでも
(もし本当に秋津さんが麻薬取引に関係していたのなら……)
考えたくはないが、疑念が浮かんでしまう。
スタジオ関係者なら、そこで取引を行うのが一番安全なのかもしれない。
人目はあるにしても、いるのが当然の人物なら、誰も怪しみはしない。
スタジオや倉庫の構造を熟知していれば、万一、警察の手入れがあっても逃げやすい。
(S−Aは、そのことを承知の上で、あの場にいたのだろうか?それとも彼自身が何らかの役割を担っていたのだろうか?)
湧き上がる疑念は打ち消そうとすればするほど形をとりはじめる。
頭を振ってそれを追い払おうとした僕に
「今日は、もういい。帰って寝ていろ」
不機嫌そのものの声で課長は僕を追い出した。実のところ、これは、ありがたかった。きのうからずっと眠っていない。
丸一日以上起きていた僕はアパートに帰るが早いかベッドに倒れこんだ。
* * *
不意に目が覚めた。
サイドテーブルに置いた時計は、午後11時を示していた。
ベッドの上に起き直る。
気配があった。
殺意に満ちた気配。
室内は明かり一つついていない。寝る前にシャッターをおろしたうえにカーテンをひいたせいで、外から光りが入ることもない。真の闇の中だが、気配があるのだけはわかる。
(S−Aだ!)
考えるよりも先に理解していた。
理屈ではなかった。どうして、そう考えるのかと問われれば、答えることはできない。それでも、そこにいるのがS−Aだということはわかった。
いかに疲れきっていたとはいえ、僕はドアロックもしないで眠り込んでしまうほど無用心ではない。刑事として身についてしまった習性で眠る前に室内を点検することも忘れはしなかった。それでも彼はここにいる。もっとも特捜司法官相手では、どれほど厳重に戸締りをしていたところで、結果は同じことだろう。
銃独特のにおいがした。おそらく、銃口は正確に僕の心臓の位置を向いているだろう――真の暗闇の中でも、S−Aならば、僕の位置を正確に把握し、一撃で心臓を射抜くことができるはずだ。
僕は息を詰めて対峙していた。
何も起こらない。
(目撃者である僕を抹殺するために来たのだろうか?)
もしそうなら、殺気を押し隠したはずだ。殺気があったからこそ、僕は目が覚めたのだから。
それとも、彼にとって、殺気のゆえに気付かれることになろうと、なるまいと、その後の行動に支障などないということなのか。
(今、ここで僕を殺すなら、彼はもはや特捜司法官ではないのだ)
どれくらいの時間が流れたのか、不意に空気が緩むのがわかった。
もう、そこにS−Aは、いなかった。掻き消えるようにして姿を消していた。
僕は、これ以上なにも起こらないことを願いながら、もう一度横になった。
横になりはしたが、眠ることはできない。
(ジョーカー、今、どこにいる?何をしている?S−Aの現状を知っている?)
心の中で問い掛けてみる。
答えが返るはずもない。それでも、もし、ここにジョーカーがいたなら、と考えてしまう。
ジョーカーなら、どんな方法で解決を図るのだろうか。
僕ひとりで、この事件の真相を探り出し、解決することができるのだろうか。
次の日から、夜ごと姿なき訪問者に睡眠を妨げられることになった。午前2時から3時の間に現れては殺気に満ちた眸で僕を見詰め、しばらくすると姿を消す。いや、こういう言い方は正確ではない。実際には殺気に満ちた眸で僕を見ているのが感じられるに過ぎない。
暗闇の中に潜んでいる存在。
それがあるからといって、何かが起こるわけではないが、安心して眠っていることはできない。
四日目、僕は対抗手段にでた。室内のすべての照明を点けたままにしておいたのだ。
すると、気配は隣の部屋から壁を突き抜けるようにして伝わってきた。僕が隣の部屋に駆け込んだのは言うまでもない。だが、そこには誰もいなかった。
その後も同じことが繰り返されるばかりだった。
【Kaleidoscope4に続く】
|