kaleidoscope(5)


 痛みが僕の意識を刺激する。手首と足首に痛みがはしる。痛みが増すごとに意識もはっきりとしてきた。
 どうやら僕は意識を失っていたらしい。コーヒーかケーキのどちらかに薬が仕込まれていたのだろう。
 僕が意識を回復した時、ジョーカーの姿は見当たらなかった。代りにS-Aがいる。連日さんざん僕を苦しめた存在。S-Aの後に黒くて尖った尻尾が見えるような気がした。
「おい、気がついているんだろ?」
 S-Aが僕をつま先で蹴って転がす。後ろ手に縛られたうえに、足首に食い込むロープと手首のロープを結び合わされた状態になってしまっている僕は、強制的にブリッジをさせられていた。
「これが日本州警の六道リィン。この間からチョロチョロとかぎまわっていたネズミです」
 S-Aは、彼の後にいる人物に向かって僕を指し示す。
「ほう、このあいだ取引を邪魔してくれたというのは、これか」
 野太い声がした。
 どこかで聞いたことのある声。聞きたいわけじゃないけど、立体TVを見ていれば嫌でも耳にせずにはいられない…日本州知事・兼子宗一郎の声に違いない。
 次の瞬間、それを確認することができた。S-Aがもう一度つま先で蹴って、男の顔を見ることができる位置に僕を動かしたからだ。
 それでは、麻薬シンジケートのボスは州知事だったのだ。政見放送などでは「麻薬撲滅」を堂々と公約に掲げておきながら、裏に回ればボスとして君臨していたとは。僕達がどれほど取締りを強化しようとも麻薬が横行する裏にはこんな大物まで絡んでいたのだ。
「この間のは、何年に一度というくらい大きな取引でな……わしも困ってるんだよ。なにしろ政治は金が掛かっていかん。儲けはみんな政治のほうにもっていかれるんでな」
 政界で一番の金権体質だと噂される男は臆面もなく言ってのけた。
「こんな雑魚一匹、片付けたところで損失の補填にはなりませんが、それで気が晴れるなら始末しましょうか」
 S-Aの声は冷たい、機械的な響きを帯びていた。
「そうだな。このところ面白いこともないし、お前が趣向を凝らして料理してくれるというなら、見物させてもらおう」
「わかりました。きっと気に入るように捌いてご覧にいれますよ」
 僕をマグロの解体ショーよろしく料理してみせようというのだろうか。活け造りにされる魚の気持ちなんかわかりたくない。
Kaleidoscope_5

S-Aはショルダー・ホルスターから銃を引き抜いた。手にしたそれは44マグナムと呼ばれる大口径の銃だった。
 今ではほとんど使われることのない銃だが、不思議とS-Aに似合っていた。彼の本質にはノスタルジックな部分があるのかもしれない。
 こんな感想は、今から処分される人間の抱くものではないのだろうけれど……。
 自身の動作を楽しむようにゆっくりとセーフティ・ロックをはずす。
 右手に構えてまっすぐに腕をのばす。
 44マグナムは、反動の大きい銃で、よほどの腕力と技量がなければ片手では扱いきれないが、S-Aなら簡単に使いこなすだろう。
(違う。何かが違う)
 僕の中で囁く声がした。
 その囁きを分析をする暇もあらばこそ
「リィン、いいざまだな」
 言葉が終わるのと弾が発射されるのが同時だった。
 大きな音が響き渡る。
 弾は足首と手首を結ぶロープを切っていた。
「ほら、もうブリッジをしていなくても済むぞ。感謝しろよ。次は、その足のロープを切ってやろう。もっともチャチな弾じゃないから、足がなくなるかもしれないが、縛られたままよりはいいだろう」
 僕は思わず足を引っ込めかけた。
 僕の動作よりも一瞬早く二発目が発射されていた。
 幸いなことに足のほうはなくなりもしなければ、穴も開いていなかった。縛めだけが解けて自由になっていた。弾はロープをかすめただけだったのだ。
「ふん。わずかによけたな。足が自由になったんだから逃げてもいいんだぞ。逃げる相手を後から撃つのも面白いからな」
 言いながら銃を徐々に心臓にむけてゆく。
 銃口と心臓の間に1本の糸が張られたように感じた。
 次の瞬間、S-Aは、振り向きざま州知事へとトリガーを引いた。
 胸からも背中からも鮮血がほとばしる。
 確実に心臓を撃ち抜いていた。
 貫通した弾がコンクリートの塀に当たって跳ね返る音がした。
 おそらく、撃たれた本人は苦痛を感じる暇もなかっただろう。何がおこったのか知覚することさえできなかったに違いない。
 殺人現場を見慣れている僕だけれど、自分の前で人が死んでゆくのを見るのは辛い。たとえそれが、犯罪者であっても、生と死の狭間を越える瞬間を目撃するというのは、気持ちの良いものではない。
 見る間に物体に変じてしまった知事を呆然と眺めている僕の前で、S-Aの姿が変化した。
 髪が長くなって肩につき、さらに伸びる。背の半ばから腰のあたりまで伸びて止まる。
 ジョーカーの姿になっていた。
 S-Aと見えたのは変身していたからだったのだ。
 ジョーカーとS-Aは、髪の長さが違うだけで、同じ顔、同じ声、同じ体格。
 だが、二人の間には、やはり違うものがある。
 これまでの経験の積み重ねが二人のあいだに差を生むのだろう。
 ジョーカーは血だまりに指をつけると、それを口に含んだ。
 再び髪が短くなり、白いものが混じる。体格が変化してゆく。指が太くなり、筋肉が脂肪に換わる。
 ジョーカーがこうして変身することは充分に承知しているけれど、目の前で変身されるのは、やはり妙な気分だった。こればかりは、いつまで経っても慣れるということはできないだろうと思う。というよりは、このことに慣れてしまってはいけないのかもしれない。
「ジョーカー、全てを教えて欲しいとは言わない。でもほんの少しでもいいから知りたいと思うことはいけないことなのかな?」
「リィン……」
 ジョーカーの困惑が表情にあらわれた。
「事件が解決するまで待っていてくれますか?決着がついたなら、お話しますから」
 僕はうなずいた。
 聞くまでもなく、ある程度のことを予測することならできる。
 麻薬シンジケートを壊滅に追い込むために、そのボスになり代わって組織に乗り込むのだということは、はっきりしている。そのために僕を囮に使ったのだということもわかっている。
 でも、それが、ジョーカーの任務だったのなら、最初になぜS-Aがジョーカーの振りをして僕の前に現われたのだろう。そして夜ごとの殺気をもった訪問者は……なにより気に掛かるのはレーザー・ショットで粉微塵になってしまった人たち……。
 いかにそれを行なったのが特捜司法官だとて。
 そして、犯罪者が相手だったにしても。
 許されてはならないことだろう。
 人が人を裁くことの難しさがここにあるのかもしれない。
 特捜司法官は、合成人間だと言われるかもしれないが、たとえ技術によって生み出された生命であるにしても「人間」であること、感情をもっていること、そして命の重さに変わりはないはずだ。
 割り切れない思いを僕の中に残したままジョーカーは去っていった。僕はいつの日にか答えを見つけることができるのだろうか。

【Kaleidoscope6に続く】

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