窓の外には光があふれていた。惜しみなく降り注ぐ光が眩しいほどになっていた。
人が地上を占領し、空を、海を、果ては宇宙までをも支配下におくようになっているが、太陽の恵みに代わるものを僕達はまだ知らない。すべてを照らし育んでくれる豊かな光。
その明るさにひきかえ、僕は暗い思いを抱えている。
あの冬の日、ジョーカーと別れてから今日まで連絡を取ることすらできずに日をすごしていた。
後悔しているのは、危険な任務に赴くジョーカーに対して優しい言葉の一つも掛けられなかったということだ。人の命の重さにひしがれていたにしても、一言ぐらい何か言ってあげるべきだった。
ノックの音が聞こえた。
(誰だろう?まさか、大家さんが、おまんじゅうを持って来たんじゃないだろうな)
大家さん自身は和菓子が大好きだから僕達にも配ってくれるだけのことだが、相手の好むと好まざるとにかかわらずであるという点に閉口してしまう。
おそるおそるドアを開けた僕の前に……
ジョーカーが立っていた。
「こんにちは、リィン。あの……まだ怒ってます?」
嬉しさと驚きとで声も出ない僕は、言葉で応えるかわりにジョーカーを抱きしめた。
女性特有の柔らかな感触が僕を有頂天にする。
(よかった。無事に戻ってきてくれてよかった)
ジョーカーが、ここにいる。僕の前にいる。その存在の確かな重さ。
「今日は説明に来ました。すべての決着がついたら、お話すると約束していましたから」
その言葉が僕を現実に引き戻す。
「約束、覚えていてくれたんだね」
「はい」
元気のいい返事がかえる。深刻に悩んでいた自分が小さく感じられるほどに天真爛漫な返事。
「言いたくないことは言わなくてもいいんだよ」
「はい、わかってます。でもリィンには何を話しても大丈夫だと信じています」
嬉しいことを言ってくれる。たとえそれが外交辞令だとしても。
ジョーカーの説明によれば――
事件は、はじめS-Aの担当だった。
日本州知事が麻薬シンジケートのボスだという噂はかなり以前からあったものの決め手に欠けていた。状況は、この上なくクロだったが、物的証拠は皆無だった。そのため、S−Aが組織に潜入して証拠を固める必要があった。彼はスナイパーとして入り込むことに成功した。あとはボスをおびき出すだけという時点になって、彼は架空の取引を計画し、その現場に刑事を踏み込ませた。
僕のもとに届けられたカードは、S−Aが届けたものだったのだ。刑事に踏み込まれて取引が失敗した、と見せることによってボスを引っ張り出そうとしたのである。『取引現場で射殺された人々は、リィンによって殺されたのだ』とボスに報告されていた。
「そう報告することが必要だったんです」
「そして、僕に一服盛ってボスの前に連れて行った。僕はボスを釣り上げるための餌だったんだ」
「ごめんなさい。あなたを危険なめにあわせてしまいました」
ジョーカーは小さく肩をすくめた。
「いいんだ。それより僕が一番訊きたいのは、スタジオ裏の倉庫で死んでいった人たちのことなんだ」
「言われるだろうと思ってました。人の命を何よりも大事にするリィンだから」
あの人たちのことが心の中で淀み、澱を作っているような気がする。ただ麻薬取引をしていたというだけで――確かに立派な犯罪だが――惨たらしく殺されていいはずがない。
「実は、あれは全部ダミーだったんです。特捜司法局で作られたダミー。命をもたない人形……もちろん、プログラム通りのことしかできませんが、立っているだけでいい場面でなら充分に人間のかわりをつとめることができます。あの場は、取引だけだったし、最初から全部吹き飛ぶことが決まっていましたから、ダミーを使ったんです。ボスに銃の威力を見せ付けるためにも肉片も留めないほどに撃ち尽くさなくてはなりませんでしたから」
ジョーカーの話を聞きながら、
(これで、ようやく彼らを瞑目させることができる)と感じていた。
「S−Aの担当だったのが、どうしてジョーカーの任務に?」
「最初、これは地球規模の組織だと考えられていました。だから、S−Aが派遣された。でも調べていくうちに火星や金星にも拡がっていることがわかったんです。それで、わたしがS−Aと入れ替わりました。元々、私たちは表裏一体の存在ですから…」
「じゃあ、連夜、僕の部屋にあらわれていたのは……」
「おそらくS−Aでしょう。はっきりしたことは言えませんが」
「その通りですよ」
うしろから3番めの声が聞こえた。
「六道リィン、本当に無用心ですね。どんな間抜けな泥棒でも簡単に忍び込めるでしょうね」
「S−A!」
僕とジョーカーの声が合唱するように重なった。
ジョーカーの声の中にはたしなめるような響きがあるのに対して、僕の声は驚きばかりだった。
「リィンはいじめ甲斐があるから楽しめますよ」
S−Aは、シニカルな笑顔を見せると、テーブルの上にリボンのかかった大きな箱を置いた。開けてみるまでもない。ケーキだ。
それを目にしたジョーカーの表情と僕の表情ほど対照的なものは、なかっただろう。ジョーカーは、こぼれんばかりの笑みを浮かべていた、視線がケーキの箱に釘付けになっている。
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「おやおや、今日は素直じゃないんですね、サム。シンジケートから狙われる恐れのあった六道さんを護衛していたんだって言えないんですか?」
もう1人の声が聞こえる。姿を見るまでもなく秋津さんだとわかる声。
普通なら、こう言われれば一言返すくらいでは済まないS−Aだが、反論する素振りも見せなかった。
「さあ、行きましょう」
促されるままにS−Aは、踵をかえした。
(S−Aって秋津さんの前ではあんなに素直なんだ)
思っただけで、口には出さなかった。
人は誰しも自分を本当に理解してくれる人のまえでは、素直になれるだろう。強がる必要もない。自分を守る必要もない。心をよろう必要もない。
僕はジョーカーにとってそのような存在でいられるだろうか。誰よりも理解し、必要な時には手を差し伸べて……
「リィン、これ、この間のお詫びなんですけど、受け取ってもらえますか?」
「え?お詫びって?」
「ボスの前で、あなたを蹴飛ばしてしまったこと」
「任務だから気にしなくてもよかったのに」
ジョーカーは微笑むと
「でも、リィンと一緒に行きたいから」と言って僕の手に小さな包みを押し付けた。
中に遊園地のチケットが入っていた。
【END】
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