カミの器(1)

【人間国宝】(名)重要な無形文化財[=伝統的な芸能や工芸技術]を身につけている人。
【天然記念物】(名)学術上貴重なため、法律で保護することに決められた動物・植物・鉱物。その中で特に価値あるものを「特別天然記念物」という。
 そして、この2つの条件を兼ね備えているのが『特別記念人間国宝』である。

*     *     *

 署長室に呼ばれていた課長が部屋に戻ってくると、自分の席に僕を呼んだ。
「六道、『特別記念人間国宝』については知っとるな?」
 当然、『知っている』という返事が返ってくることを期待した言い方だった。
 僕だって言葉としては知っている――言葉を知っているというのと実際に会った事があるというのは、まったくの別物だけど、とりあえず、どういう人が選ばれるのかということぐらいは知っている。
「それで…だ、その『人間国宝』のボディガードを六道、きみに頼みたい。実はさっき署長に呼ばれたのもその件だったのだが……」
 急に課長の歯切れが悪くなった。こういう時にはロクなことがないと経験上知っている。できることなら他の人に替わってもらえないだろうかと口を開こうとしたところへ
「特別記念人間国宝?」
 バーリー先輩が割り込んできた。
先輩は結構ミーハーな部分を持ち合わせているし、今は特にこれといって複雑な事件を抱えているわけでもないから、喜んでボディガードを引き受けてくれそうな気がする。
 もっとも『国宝』に指定されるのは、その道何十年というベテランの人が多いのも事実だから、相手の年齢を聞いてしまったら断られてしまうかもしれない。とはいえ、現代では、伝統芸能や伝統文化を伝える人が激減しているせいもあって、こうした分野に携わる人は若いうちから『国宝』に指定されることもある。
(相手が若い女性だったら一も二もなくOKしてくれるんだろうな)
 そんなことを考えながら、ガードするべき相手を尋ねてみた。
「ヨコヅナだ」
 課長の言葉に周囲から『わぁ』とも『え〜』ともつかない声があがった。ここのところヒマなせいでデスクワークをこなしていた皆がいつの間にか集まってきていて、僕と課長の会話に聞き耳をたてていたらしい。
「カミの器とか言われる人よね」
「体重が多ければ多いほどステータスが高いって?」
「ソリ・ヴィジョンで1回だけ見たことがあったような気がするな。スモウ・チャンピオンとかいう番組で」
「なんか白いビラビラしたのがついてるんだっけ?」
 周囲が一斉に口を開いたが、皆の知識を総合しても僕の知識と大差ないようだ。
 かつて日本州がまだ一つの「国」だった時代、『スモウ』というのは、日本の「国技」といわれていた。それは、格闘技の一種で、なんでもその始まりは「カミ」に捧げるものだったそうだ。宗教も死に絶えてしまった時代に生きる僕たちにとって「カミ」という存在もなかなか理解できるものではないが、昔はもっと人間に近しいところに存在していたのだろう。ともあれ、いつしかそれは1つのスポーツになり、今に至っては伝統文化になっている。そしてその継承者は『人間国宝』に指定されている――僕達の知っていることはその程度のことだ。
 その人間国宝がボディガードを必要としている?
 単なる人間国宝と違って――それだって充分に保護される理由にはなるが――特別記念人間国宝ともなれば常にボディガードがついている。それも州の予算にボディガードの給料が計上されるほどの特別な人間だ。いまさら新たにボディガードを要求する理由がわからないと僕は思った。
「ボディガードってすでに24時間体制でついてるんじゃありません?」
 やはり同じ疑問をもつようで、皆の気持ちを代弁するようにナイルが課長に質問した。
「それは、そうなんだが…実は暗殺を予告する脅迫状が届いたということで……」
「でも、それだったら、リィンじゃなくたって……」
 そう、そう、ナイルはいいこと言ってくれるなぁ。
「ところが、そうもいかんのだ。むこうから六道を指名してきてるんだから」
 課長が爆弾発言をやらかした。
 指名?!僕を?!なんで?!
 黒い雲が僕の胸の中にひろがる。こういう状況っていうのは本当にロクなことにならないんだから!そのことは僕自身がイヤっていうほどよくわかってるんだから!身にしみてるんだから!
「そういうわけだから、六道、よろしく頼むぞ。相棒は好きなヤツを選んでいいからな」
 そう言うと、課長は、もうこれで話すことはなにもないと示すように、それにまた、皆に自分の席に戻ることをうながすように手の甲を皆のほうにむけて小さく振った。
 よろしく頼むと言われたって……どうにかして断れないものかと考えてみる、が、しかし、断るのは無理だというのは嫌というほどよくわかっている。こうなったら、もうバーリー先輩を巻き込んでしまうのが一番いい方法かもしれない。なんだかんだ言ったって、イザっていう時には結構頑張りをみせてくれるんだから。
 それに、人間国宝であるという理由でボディーガードがついているわけだが、ヨコヅナ自身だって、カミの器であると同時に格闘家であるわけだから、自分の身を守る術は僕なんかが足元にも及ばないくらいきっちり身につけている。これまでのボディーガードに加えて警察の人間を身辺警護につけるというのは『こんなに身辺に注意を払っているのだぞ』という一種のデモンストレーションを目的としているのかもしれない。
 断ることができない以上は、「人間国宝」との対面を楽しみにしていようと思う――仕事であれなんであれ、プラス思考でいかなくちゃね。

【カミの器(2)】に続く