これも一つのカルチャーショック

 18年間続いているテレビドラマ『特捜司法官S‐A』では、1回限りの出演者も数限りない。それらのゲストキャラの中には、コネを使って潜り込む者もいる。
 今、秋津の目の前にいる岸方セドナも「コネを使って潜り込んだ素人」だと自分を評する。
 たしかに、その言葉に嘘はないだろうと秋津は思うが、同時に
(素人って割には、基本はおさえてるんだな)とも感じる。
 それが、セドナをこの番組に押し込むことに成功した人物の成果なのか、はたまたセドナ本人の努力の結果なのか。どちらにしても、セドナは、この先、役者としてやっていくに充分な資質をそなえている。
 魅惑のまなざし――
 スリムで手足の長い体型――
 監督のヒロタが感心するほどの演技力――
 このうえに華やかさが加われば、ブレイクも時間の問題という印象を受ける。
(俺にも、眸をセールスポイントにしていた時があったんだよな)
 岸方セドナの黒百合の花びらのような瞳を見ながら、ふと思う。
 俳優としての野心に燃えていたけれど、売れなかった時代のこと。そこにさえ至らぬデビュー当時のことも、思い出してしまう。

*     *     *

 一人の若い役者が、テーブルをはさんでTV局のプロデューサーと向き合っていた。マネージャーは、ついてきていない。彼には現在のところ、まだ専属のマネージャーはついていない。デビュー予定の俳優のタマゴ数人に対して、一人のマネージャーが割り当てられているだけの状態で、つきっきりなどというわけにはいかないのだ。
 テーブルの上には、その役者のデビュー作となるはずの台本が置かれている。
 台本の表紙には、番組のタイトが大きな文字で書かれ、その下に小さく役者の名前がはいっていた――秋津 秀と。

 プロデューサーが口を開く。
「清潔感を出すために、いくつかお願いしたいことがあるんですが…。まず、爪は短く切ってください」
 これには、異論はない。
 まったくもって、その通りだと秋津も思う。実際のところ、秋津は爪を長くしたことがない。今現在も短く切ってある。
 だが、そのあとに続いた言葉は、一瞬かれを硬直させた。
「腕、指、顔の体毛と産毛を剃っておいてください」
 髭をきれいに(剃りあとが目立たないように)というだけなら、一も二もなく頷いただろう。役柄のために髭が必要な場合は別にして、きちんと髭を剃るというのは、通常の礼儀でもある。『腕』というのも、わかる気がする。秋津は毛深い質ではないが、まったくスベスベしているなどというわけにはいかない。だが、『指』というのには驚いた。『顔』というのも、これまで意識したことがなかった。
 女性なら、眉を整えたり、肌を美しく見せるために産毛を処理するといこともあるが、秋津は、これまで自分の顔を積極的に手入れしたことなどなかった。メンズエステに通う知人がいないわけではなかったが、秋津は、通ったことがない。所属しているプロダクションでも、通うようにとは言われなかった。
 それは、通うのが当然のこととして言うまでもないと考えているのか。それとも。エステに通わせなくても充分に通用するとふんでいるのか。
 どちらであるのかは、秋津自身には、わかりかねた。あるいは、もっと別の理由があるのか――たとえば、この先、プロダクションの看板を背負ってたつほどの新人なら経費をかけて通わせもするが、どこまでのびるか未知数だから、今は言わずにいる、とか。
 ともあれ、何も言われなければそれでいいというわけにはいかないらしい。
(指…まで手入れするのか…)
(爪の手入れ…とかも言われることになるのか…)
 なぜとはなく、自分が自分ではなくなっていくような感じがする。
 秋津が要求されていることは、業界に慣れていれば、違和感なく受け止めることができるのだろう。
 カメラ技術の進歩によって、細かな産毛まで映ってしまう。
 産毛が映ってしまっては、当然のことながら、清潔感がなくなってしまう。――人間、産毛があるのが当然で、ないほうがむしろ不自然なことなのだが、テレビ画面に映るとき、自然なはずのものが、不潔感を与えてしまうのだ。
 不自然なもの、不自然な状態をも越えてゆかなくてはならない。
 役者として歩もうとするならば、まったくのナチュラルでいることはできない。人工的に造られたもの・自然ではありえないものをナチュラルに見せることが要求される。
 演じるということ、人に見られるということは、素のままではいけないのだ。どんなに「素」に見えていたとしても、そう見せているのでなくては、役者ではない。
 そういうふうに理解してはいたが、やはりまだ観念的なものでしかなかったということなのだろう。具体的な事柄を目の前に突きつけられると、驚いてしまう。
 それでも、秋津は、驚きを表情には出さず、さも当然のことのようにプロデューサーに頷き返した。
 心はカルチャーショックに揺れていたが、外面からはうかがい知ることなどできなかった。